橘玲の日々刻々 2020年4月23日

「個人差あるところ、遺伝あり」
行動遺伝学というラディカルな学問によって
従来の心理学は危機を迎えている
【橘玲の日々刻々】

「交差時間差デザイン」と「ふたごの子どもデザイン」

 発達心理学や教育心理学など、従来の心理学は「こころの発達に環境が与える影響」の解明に膨大な努力を傾けてきた。「親が読み聞かせをすると子どもの知能は高くなる」「家にたくさん本のある家庭の子どもは国語の成績がいい」などは、いまでは常識と呼べるほどによく知られている。

 だがここには、統計学でいう「因果関係と相関関係の混同」がある。本の冊数と子どもの国語の成績に相関関係があったとしても、「本に囲まれて育つと言語的知能が高くなる」という因果関係があるかどうかはわからない。「たくさんの本を読む親は言語的知能が高く、それを遺伝的に受け継いだ子どもも国語の成績がいい」という解釈もできるからだ。

 読み聞かせの場合には「因果の方向性」の問題が生じる。「読み聞かせをすると言語的知能が発達する」のではなく、「遺伝的に言語知能が高い子どもが物語に夢中になり、親が熱心に読み聞かせをするようになる」という逆の因果関係でも説明可能だ。

 親の子どもへの体罰を禁止する改正児童虐待防止法の施行(今年4月)に先立ち、厚生労働省は19年12月に指針案をまとめ、体罰を「身体に苦痛、不快感を与える罰」と定義したうえで、しつけ目的だったとしても「身体に苦痛や不快感を引き起こす行為はどんな軽いものでも法律で禁止される」と規定した。

 もはやしつけ目的の体罰が許される時代ではないのは当然だが、ここでも子育てにおける一方的な因果関係が前提とされている。「親の虐待によって子どもが反社会的な問題行動を起こすようになる」からこそ、虐待につながりかねない体罰を法で禁止する必要が生じるのだろう。

 体罰を容認する意図はないことを念押ししたうえでいうならば、これも「逆の因果関係」を想定することが可能だ。すなわち、「子どもが(遺伝的に)問題行動を起こすから、親の養育態度が体罰を含むネガティブなものになる」のだ。このような説明を不愉快に感じるひとは多いだろうが、親のいうことをなんでもきく「よい子」にきびしいしつけをする理由があるかは、子育てを体験したひとならわかるだろう。

 ではどちらが正しいのか。じつは行動遺伝学では、因果の方向性を統計的な手法的で確認できる。そのときに使われるのが「交差時間差デザイン」と「ふたごの子どもデザイン」だ。

 交差時間差デザインでは、2つの変数を時間差で交差させて因果関係を調べる。それによると子育ての因果関係は双方向で、親のネガティブな養育態度によって子どもに問題が生じるという「環境の影響」もあるが、同時に、子どもに問題行動を起こす傾向があるから親の養育態度がきびしくなるという「遺伝の影響」も確認された。

 ふたごの子どもデザインでは、双子のもとにそれぞれ生まれた子どもを含めたデータから、親から伝達された環境要因と、純粋に子ども独自の環境要因を区別する。そこでも、「経験を引き寄せる遺伝的傾向というものがある」ことが示唆されている。

 もちろんこれは、「体罰はしかたがない」とか、「虐待の原因は子どもにある」などと主張するものではない。だが次のことは認める必要があるだろう。発達心理学や教育心理学がこれまで当然の前提としてきた、「子どもは純真無垢で、親の育て方によって人格が形成される」という常識が、はたして「科学」として成り立つかが問われているのだ。

知能の遺伝率は児童期41%、青年期55%、成人期初期66%と上昇する

 標準的な発達心理学のモデルは、年齢とともに環境要因が大きくなるという発達観を基礎にしている。生まれたばかりのときは遺伝の影響が大きくても、その後は家庭(子育て)や学校(教育や友だち関係)などの環境要因が大きくなり、遺伝の影響を超えていくのは当たり前なのだ――。

 だが行動遺伝学は、いまやこの「常識」を覆しつつある。すくなくとも知能の発達においては、「過去30年を超える研究の蓄積からみるかぎり、発達全体を通じて遺伝率が上昇する傾向にあることが、文化を超え、またふたご研究だけでなく養子研究からも支持されている」のだ。

 1万組を超す双生児研究では、知能の遺伝率は児童期41%、青年期55%、成人期初期66%と上昇することが示された。成人期後期には知能の遺伝率は80%にも上るという報告すらある。

 より詳細に調べると、知能の遺伝率は青年期のはじめまで急激に上がり、その後は安定する。その一方で共有環境は子ども期にはある程度あるがその後は減少し、非共有環境は生涯を通じて安定して少ないという。

 共有環境を「子育て」だとすると、世の親がなぜ「お受験」や「幼児教育」に夢中になるのかがわかる。子どもが幼いときは遺伝率が低く共有環境の影響が相対的に大きい。すなわち、子育ての効果が見えやすい。親の努力によって、子どもを名門幼稚園や一流私立小学校に入れることは(ある程度は)可能なのだ。

 だが子どもが思春期になるにつれて遺伝の影響が大きくなっていくため、親がどれほど子どもの学校の環境に影響を与えようとしてもどんどん効果がなくなっていく。ほとんどの努力は無駄に終わるのだ。――これについては実感として理解できる親も多いだろう。

 なぜこのようなことになるのか。安藤氏は「人間は生まれてから青年期が終わるまでの学習の期間、学習すればするほど、環境によって遺伝的素質が薄められるのではなく、むしろ環境を介して自らの遺伝的素質を形にしていくようである」と述べる。学校教育は「知能の格差」を縮小させるのではなく、それぞれの子どもが自らの遺伝的適性を発見することで、むしろ「知能の格差」を拡大させるのだ。

 興味深いのは、青年期から成人期にかけて問題行動(非行のような「外在化問題」や不登校のような「内在化問題」)には、知能と同様に遺伝率の発達的上昇傾向が見られるものの、パーソナリティ(性格)では遺伝の影響は児童期から青年期にかけて減少し、非共有環境がやや上昇気味になることだ。教育格差の大きなアメリカでは、マイノリティや貧困層の子どもの学習を支援するよりも、堅実性(自己コントロール力)のような将来の社会的・経済的成功につながるパーソナリティを訓練する方向に変わってきているが、これも遺伝と発達の関係から説明できる。児童期を過ぎれば知能の遺伝率は急速に高まるが、性格は環境による外部からの関与がまだ可能なのだ。

 このように知能と性格(パーソナリティ)では発達における遺伝/環境の影響は異なるものの、青年期を過ぎるといずれも安定するのは同じだ。これは要するに、「大人になるとひとは(ほとんど)変わらない」ということでもある。パーソナリティ障害、ひきこもり、不安やうつも「生まれてから成人までの間に徐々に発現し、その後おおむね安定する」とされる。

 こうした発達の特徴はじつはチンパンジーも同じで、霊長類学者のフランス・ドゥ・ヴァールによれば、子どもの頃は柔軟だったチンパンジーたちは成長とともに頑固になり、青年期にいったん性格が固定するとそれ以降は変わらないという。だとすれば、これは進化の仕組みなのだろう。

 遺伝率上昇の原因としては、ひとつの遺伝要因の影響力が徐々に大きくなる「遺伝的増幅」と、発達とともに新しい遺伝的要因が加わっていく「遺伝的革新」が考えられる。研究によると、「児童期の間は革新が増幅を上回るが、児童期が終わるとそれらは逆転し、発現した遺伝的影響が増幅される傾向が高まる」とされる。

 近年の行動遺伝学のさまざまな知見から、ひとの成長=発達の一般的なパターンが明らかになった。知能やパーソナリティなどの「表現型」の安定には遺伝が関与し、変化はそのときどきの(エピジェネティクスを含む)非共有環境が関与する。そして「共有環境=子育て」の影響がきわめて小さいことが再確認された。

 こうしてみると、従来の心理学がなぜ行動遺伝学を忌避するのかがわかる。ひとたびその知見を受け入れたなら、発達心理学や教育心理学の教科書は最初のページから書き直さなくてはならず、多くの心理学者は失職してしまうのではないだろうか。


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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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