人と違う道を行き、世の中を変えていく──。そんな発想とモチベーションは、いかにして育つのか。今回は26歳でiPS細胞から「ミニ肝臓」の開発に成功し、東京医科歯科大学と横浜市立大学で史上最年少(31歳)で教授に就任した武部貴則さん。再生医療に加え、「広告医学」という新分野にも挑戦するマルチな才能を発揮する研究者です。(聞き手/ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

中学受験は第6志望
大学受験は第2志望

武部貴則
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──幼い頃はどんな子供でしたか。

 落ち着かないタイプではありましたね。デパートやショッピングセンターで親とはぐれて呼び出されていたのは記憶にありますし、もっと小さい頃は、母親のおんぶひもの中に拘束されるのが嫌で、混んだ電車から降りてみたら、首以外はおんぶひもの外に出ていたなんてこともあったそうです。

 小3から日能研には行っていましたが、勉強するのはあまり好きじゃなくて、勉強への努力はミニマムにしていました。例えば、読書感想文を書くとしたら、後書きを読んで本文を少し読んで書くような感じです。実は今も本を読むのは苦手で、小説のように、登場人物が多くていろんな人の感情をじんわり読み解くような本をきちっと読んだのは数えるくらいです。論文は大丈夫なんですけどね。

──医学部進学を決めたきっかけは、お父さまの病気だそうですね。

 私が小3のときです。今でも鮮明に覚えていますが、母と兄と私で食事をしているところに電話がかかってきて、母親の顔色がさっと変わり「お父さんが風邪をこじらせたから、ちょっと行ってくるね」と言って出ていったきり、父は半年近く家に帰ってきませんでした。脳卒中だと知らされたのは、1~2カ月たってからです。

 ただ、医学部を目指したのは、実際にはおばあちゃんの刷り込みです。塾の送り迎えをおばあちゃんがしてくれていたのですが「貴則くん、東大の理3というところに行くと、お父さんみたいな人を助けられるんだよ」と毎日のように言われていました。リサンって何だろうと思っていましたが。

──では、本当は何になりたかったのですか。