習近平,中国コロナ封じ込めに関する知見を海外へ積極的に発信し始めた中国、その野心とは Photo:Mikhail Svetlov/gettyimages

なぜコロナから「一抜け」できたか?
他国には真似できない絶対的権力

 5月22日に、2カ月あまり延期されていた一大政治イベント、全人代の開催が決まり、中国は経済社会活動の本格的な回復に向けて大きく動き出した。世界が新型コロナウイルスの感染拡大に喘ぐ中で、中国は「一抜け」の感がある。

 4月30日付の『環球時報』は、中国の大規模な政治会議が開かれることは「14億の人口を抱える中国の能力と自信を示している」と述べ、こうした大きな政治イベントが行われることになったのは、中国の感染症との戦いの成果であることを強調した。

 日本メディアの報道は、中国は全人代で感染症の拡大を基本的に押さえ込んだことを内外にアピールしているのでは、と分析しているが、ウイルスとの戦いを「人民戦争」と表現していた中国が、国民と政府が一体となって勝利を得たということを文書に盛り込む可能性はあるだろう。

 中国はどうしてコロナウイルスとの戦いで「一抜け」できたのだろうか。1つ目の要因は、徹底した「都市封鎖」を行ったことだ。中国政府はコロナウイルスの感染拡大を抑えるために、武漢市・湖北省へのアクセス道路の封鎖や感染が深刻な地域の封鎖を行うだけでなく、徹底した外出制限を行い、政府の感染症対策に協力しなかった者、感染地域に行ったことがあることを隠した者は、社会の秩序を乱したという罪で罰せられた。

 2つ目の要因は、“計画経済”的な社会経済運営だ。計画経済は多様化するニーズ、科学技術の発展に対応できないという欠点があるが、限られた資源をある目的に投入できるという利点がある。今回のコロナウイルス騒動で中国政府は、マスクなど必要な防護具や人々の生活に必要なモノの生産を重視した。中国の左翼系の論者も、これが社会主義計画経済の強さだと述べているが、その見方はあながち間違いとは言えない。

 3つ目の要因は、段階的に規制措置を緩和したことだ。感染拡大が深刻な時期、中国政府は感染者が多い地域を高リスク地域にして、徹底した規制を行った。感染患者の増加ペースが鈍化し、企業活動が徐々に再開されても、第2波の襲来を警戒して慎重な姿勢を保っていた。