現球児たちには「仕方がない。誰も恨むな。今後の人生を頑張ってほしい」というエールしか送れない現球児たちには「仕方がない。誰も恨むな。今後の人生を頑張ってほしい」というエールしか送れない(写真はイメージです) Photo:PIXTA

日本高等学校野球連盟(日本高野連)は20日、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、オンラインで第102回全国選手権大会の運営委員会と理事会を開催し、8月10日から予定されていた夏の甲子園大会の中止を決めた。夏の甲子園が中止されるのは戦後、初めてとなる。春の第92回センバツ大会も中止となっており、第2次大戦の中断を除き、史上初めて春夏ともに甲子園大会が開催されない事態となった。甲子園を目指してきた球児の思いは…。(事件ジャーナリスト 戸田一法)

中止は大戦中の1回だけ

 現在の全国高校野球選手権大会は1915年、全国中等学校優勝野球大会として発足。第1回は10校が参加し、甲子園球場ではなく、大阪の豊中グラウンドで開催された。

 決勝戦は京都二中(現・鳥羽高)と秋田中(現・秋田高)の対決で、延長13回の末に京都二中が制した。

 甲子園球場が会場になったのは、第10回大会の1924年から。ただ、第28回大会(終戦翌年の1946年)はGHQが甲子園球場を接収していたため、阪急西宮球場で開催することになった。

 第40回(1958年)と第45回(1963年)の両記念大会は出場校を増やしたため、甲子園と西宮の両球場を併用したが、甲子園で試合ができなかった高校から「不公平だ」と批判が上がり、それ以降は全試合が甲子園で行われるようになった。