邱永漢氏に師事し、2005年より、チャイニーズドリームを夢見て北京で製パン業を営む荒木尊史さんが、中国・武漢から発生した新型コロナウイルス感染拡大に直面。中国人にとっては一大イベントである旧正月が一変。そのとき、中国人は、そして中国で暮らす日本人は? 緊急レポートします。
「武漢でSARSに似た新型肺炎が広がっている」というニュースが広がり始めた1月上旬、北京ではまだ旧正月に向けた明るい雰囲気が漂っていました。今から思えばこの旧正月という長期休暇のタイミングで新型コロナウイルスの感染拡大が起こったことは、良くも悪くも後に大きな影響を与えることになり、日本を含めた諸外国との対応の違いの大きな要因にもなりました。
広く知られていることですが、旧正月は中国人にとって最も大切にしているイベントで、日本人の正月と欧米人のクリスマスを足し合わせた以上のものです。
特に北京や上海などの大都市に出稼ぎに来ている外地人にとっては、故郷に帰省して親族や旧友と顔を合わすことのできる数少ない機会です。そんな皆が楽しみにしている一大イベントを根底から変えてしまったのが新型コロナウイルスでした。

旧正月休みの大規模移動に重なった、新型コロナウイルス感染拡大
まず何が起こったかというと、旧正月休みが2日間延長になり、それに続き全国の省、市、村単位での移動が制限され、実質的に封鎖されました。これにより帰省していた多くの人々が北京や上海、広州など大都市の生活拠点に戻れなくなったのです。
一般的な出稼ぎ労働者だけでなく、地方から出てきて大都市で就職し、結婚して家庭を築いたような人々も、帰省していた場合は同じく影響を受けました。ちなみに私が経営している製パン工場の河南省出身の工場長が北京に戻れたのは、なんと4月初旬にもなった頃でした。実に2カ月間以上もの間、故郷に缶詰めにされていたことになります。
その間、私が拠点にしている北京では街から人の姿が消え、いつも慢性的に渋滞している幹線道路もガラガラという状態が続きました。3月に入り、中国国内での感染拡大が抑えられ、コントロールでき始めたことから、中国政府は武漢市のある湖北省などを除いて封鎖を解除し始めました。本格的に経済活動を再開させるため、地元政府が発行した隔離証明書があれば大都市に戻れるようにしたのです。
しかしこれがそう簡単には戻って来られません。感染拡大防止のため、飛行機や鉄道、長距離バスなどの公共交通機関のチケットはこの隔離証明書がないと購入できない仕組みになっているのですが、地元政府がなかなか証明書を発行しないことが理由でした。
実際、しびれをきらした当社社員の数名は、白タクを長距離でチャーターし、高速道路を夜通し飛ばして北京に戻ってきたくらいです。
地元政府が隔離証明書を発行したがらない理由は2つ考えられました。ひとつは管轄の地域から感染者を大都市に流出させてしてしまう可能性を非常に恐れているということ。2つ目は地元政府にとって、消費力がある若者を大都市へ戻すことは得策でないこと。特に2つ目の若者を大都市に戻すことは、地元経済(すなわち地元政府の役人)にとっては収入減につながる大きな損失だと考えた可能性は意外と高いと思っています。
実際、地方都市のスーパーや商業施設は平時より高い売上を上げていたようで、大都市から帰省していた若者の消費力は、地元政府や経済界にとって非常に魅力的であったはずです。
こうしてたまたま新型コロナウイルスの感染拡大と都市封鎖が旧正月のタイミングと重なり、結果として長い長い旧正月となってしまいました。楽しみである旧正月も長すぎると弊害も多いようで、離婚届を役所に提出しても1カ月間は保留処置で受け付けないという一風変わった法律もタイミング良く出現しました。
不幸中の幸いであったのは、旧正月に向けて多くの企業活動が抑えられていたので、ロックダウンの準備がすでにでき上がっていた点です。一部の観光地や繁華街を除きオフィスビルや工場、飲食店や商業施設も旧正月の間はクローズしています。欧米諸国のように日常から突然のロックダウンではなかったので、混乱も比較的少なく、人件費や仕掛け品、仕入れのロスなどは最小限に済んだケースが多かったのではないでしょうか。

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