農協の病根#5Photo by Hirobumi Senbongi

JA全中は国からヒト、モノ(法律)、カネ(土地)を与えられて生まれた農水省の“別動隊”だった。戦後は農水省、自民党と「農政トライアングル」を形成して隆盛を誇ったが、今では組織内外から存在意義を問われる事態になっている。特集『農協の病根』(全8回)の#5では、全中が凋落した要因を、選挙戦略や幹部人事の失敗からつまびらかにする。(ダイヤモンド編集部 千本木啓文)

「農政トライアングル」の崩壊
農家の支持を失ったJA全中

 JA全中はJAグループの頂点に君臨する組織だ。全国584農協を代表するだけでなく、JAグループで商社機能を担うJA全農、保険事業を行うJA共済連、JAバンクの元締である農林中央金庫などの連合会の利害をまとめて、農水省や自民党などと渡り合ってきた。

 以上は表向きの全中の機能だが、その本質は、農水省の“別動隊”である。全中の組織の成り立ちを見れば、農水省が農協を操るためにつくった分隊的組織以外の何物でもないことは明らかだ。

 全中は1954年、経営危機に陥っていた全国の農協や連合会(農協の農業関連事業や金融事業を行う上部団体)を健全化するために、農水省から万全の支援を受けて誕生した。

 万全の支援とは、「ヒト(農水省の後ろ盾)」「モノ(農協法で認められた権限)」「カネ(含み益のある不動産の払い下げ)」である。具体的には、まず初代の全中会長には荷見安・元農林次官が送り込まれた。また全中に地域農協への監査・指導権など強い権限が与えられ、さらに国有だった東京・大手町の旧JAビルの土地が払い下げられるなどした。

 これだけ至れり尽くせりの支援を受けて誕生した「子(全中)」が「親」である農水省に忠誠を誓わないわけがない。実際に、コメの生産調整(減反)など政策の実現に全中は汗をかいた。

 ところが、である。2006~07年に全中が農水省の虎の尾を踏む事件を起こした。