三菱自の経営主導権を巡り、三菱商事が日産に「暗闘」を仕掛ける理由Photo:AFLO

約16年間、三菱自動車のトップに君臨していた益子修会長が電撃退任した。出身母体である三菱商事と、アライアンスを組む日産自動車との“扇の要”だった実力者の退任は大きな波紋を呼ぶことになりそうだ。(ダイヤモンド編集部 浅島亮子、新井美江子)

三菱グループ「日産出資」計画の頓挫が発端
潰えた三菱自の“自力再建”

 たった一つのほころびが、強力なタッグを組んでいた自動車連合の崩壊を招きつつある。仏ルノー対策で共闘して形成された「日産自動車と三菱グループ」連合のことだ。

 発端は、昨秋まで水面下で進んでいた「超極秘プロジェクト」の頓挫にある。その中身は、三菱商事が、三菱自動車など三菱グループとして日産に30%程度出資することを柱としていた。

 日産にはプロジェクトを進めねばならぬ差し迫った事情があった。ルノー・日産・三菱自という3社連合を率いるカルロス・ゴーン氏の失脚後、仏政府の意向を酌むルノーは日産への経営介入を深めていたからだ(ルノーは日産株式43.4%を保有する筆頭株主)。日産から見れば、三菱グループによる日産出資計画は、究極の“ルノー封じ込め策”だったのである。

 一方の商事にも思惑があった。商事の自動車・モビリティグループの柱は、三菱自といすゞ自動車のASEAN地域における販売・販売金融・生産事業だ。日産とルノーの確執に乗じて、日産との連携を深めることでASEAN地域での日産車生産を請け負うなど、ビジネス拡大を狙っていた。

 要するに、対ルノーで日産と三菱グループが共同戦線を張ったのだ。プロジェクトは、限られた幹部だけで秘密裏に進められた。