ハーヴェイ・ミルク。アメリカ、サンフランシスコで1970年代にゲイ活動家として活躍し、アメリカ史上初めてゲイであることを公言して市会議員に当選、1978年に暗殺された政治家だ。第81回アカデミー賞で、主演男優賞と脚本賞を受賞した映画『ミルク』のモデルとしても知られている。ダニエル・ニコレッタ氏は、ハーヴェイ・ミルクが生前、サンフランシスコのカストロストリートに構えていた「カストロ・カメラ」の従業員として勤務し、ハーヴェイ・ミルクの選挙活動に参加した人物。映画『ミルク』にも、ニコレッタ氏役は登場している。そのニコレッタ氏に、ハーヴェイの足跡や今のLGBTを取り巻く環境、企業の姿勢について、話を聞いた。(聞き手/在米ジャーナリスト・瀧口範子)

今のLGBT活動家たちは7世代目
私とハーヴェイは3世代目だった

ハーヴェイ・ミルクは親のような存在だった<br />AIDSや若年層のゲイなど課題はまだまだある<br />――ダニエル・ニコレッタ 写真家・LGBT活動家インタビューダニエル・ニコレッタ(Daniel Nicoletta)/1954年、ニューヨーク州生まれ。サンフランシスコ州立大学を卒業後、ゲイの人権擁護を唱える雑誌『Advocate』のカメラマンを務めたクロフォード・バートンのインターンとなる。1974年にサンフランシスコのカストロ地区で、ハーヴェイ・ミルクに出会い、その後ミルクが共同経営するカメラショップ「カストロ・カメラ」の店員となった。ミルクの選挙運動にも関わり、当時の記録を多くの写真に残している。ミルク暗殺後も、LGBTコミュニティの人々の写真を撮り続け、またLGBTコミュニティの育成のための活動に深く関わってきた。サンフランシスコ在住。
Photo by N.T.

――1970年代半ば、あなたはハーヴェイ・ミルクが経営していたサンフランシスコ市内のカメラショップで働いていました。ミルクは、アメリカで初めてゲイであることを公にした上で公職に当選した人物で、あなたは彼の市会議員の選挙運動にも参加していました。ミルクが暗殺された後から現在まで、ミルクの遺産を語り継ぐとともに、写真家としてサンフランシスコのゲイ・コミュニティを記録し、また数々のゲイ擁護活動に関わっています。アメリカにはLGBTの人権を求める闘いの長い歴史がありますが、あなたはその何世代目にあたるのでしょうか。

 アメリカでの最初のゲイ擁護運動は1950年代の「ホモファイル・ムーブメント」でしょう。その時、初めてゲイたちが一緒になって運動を起こしました。一世代を10年とすると、僕の世代は70~80年代ですから、3世代目になるでしょうか。つまり、今の世代は、ゲイ擁護を訴えて始めてからもう7世代目を超えているということになります。

――成人になる前の運動を覚えていますか。

 1969年には、ニューヨークでストーンウォール騒動(警察による、ゲイの溜まり場取り締まりに対して起こされた反乱。本連載第6回参照)があり、これが現在のLGBT運動の発端になりました。われわれが今、享受しているゲイ権利は、すべてここから始まった運動のおかげです。