南太平洋の海原にぽつんと浮かぶ島・ナウル。島の面積は東京都港区とほぼ同じ21平方キロメートルで、バチカン、モナコに次ぐ狭さ。山もなく谷もなく、町と言えるような町もない。国家財政は完全破綻状態で、オーストラリアなどの援助でなんとか食いつないでいるこの国が、30年ほど前までは世界有数の金持ち国家だったことを知る人が、はたしてどれだけいるでしょう。天国と地獄を味わった国、ナウル。この国にいったい何があったのか!?
税金なし、生活費無料、新婚さんには家を進呈
80年代のナウルはまさに大盤振る舞いだった!
昼は陽射しが強いので誰も出歩こうとせず、夜は電気がこないのでみんなさっさと寝てしまう――どこを探しても「やる気」が見当たらないこの島が、1980年代の始めには1人あたりGDPが2万ドルを超える“富豪たちの国”だったという話をいったい誰が信じるでしょう!?

当時のナウルは所得税・法人税は無税、教育費無料、医療費無料、水道光熱費全部無料、そればかりか国民には一律に生活費(ベーシックインカム)が配布され、結婚すれば2LDKの新築一戸建てを国がプレゼントしてくれるという大盤振る舞いだったのです。
なぜ、そんなことが可能だったのか!? それは、この国から良質なリン鉱石が採れたからにほかなりません。ナウルの国土は珊瑚礁の上にアホウドリなどの鳥が糞を落とし、積もりに積もってできた島。それが長い年月をかけて良質なリン鉱石になったのです(リン鉱石は「鳥糞石」とも呼ばれ肥料の原料になります)。

採掘はドイツ領だった1907年に始まり、オーストラリアの占領下では英国により継続されます。その後、日本が占領したり英国の手に渡ったりしましたが、1947年に国連の信託統治領となり、1968年に英国連邦内の共和国として独立しました。
採掘がピークだった1981年には170万トンを産出し、年間推定200億円以上を稼ぎ出しました。1968年の独立から1980年代末までの約20年間に、ナウルがリン鉱石から得た収入は5000億円以上とも言われています。当時の人口は5000人程度でしたので、国民1人あたりざっと1億円というわけです。
島には主要道路が1本しかなく、スクーターでも30分で一周できてしまうというのに、往時にはベンツやフェラーリが持ち込まれたそうです。政府は滑走路が1本しかないナウル国際空港を、本気でオセアニアのハブ空港にしようと考え、国営航空「エアーナウル」の飛行機をせっせと近隣諸国に飛ばしました。日本へも週1便、ナウル-鹿児島便がありました。

とはいえ、こんなにちっぽけな島です。手当たり次第に掘りまくっていれば、資源が枯渇してしまうことはわかっていました。そこで、ナウル政府は未来のために手を打ちました。それが、よりによって「海外投資」だったのです。
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