「2020年度、世界で評価される時価総額1兆円企業になる」と安藤宏基CEOが宣言したのは、2016年5月の決算説明会での席上だった。さらには、自著『日本企業 CEOの覚悟』(中央公論新社)の中で「この誓約が実現できなければCEO退任も辞さぬ覚悟でいる」と記し、周囲を驚かせた。

 その裏には、戦略と組織力はもちろん、何よりカップヌードルというグローバルブランドを築き上げてきた、揺るぎない実績があった。4年後の今年(2020年)の6月には、ついに時価総額1兆円、8月には100億ドルを突破。「10ビリオンダラーカンパニー」として、グローバルメジャーの仲間入りを果たした。

 もちろん、それに安んずる日清食品ではなかった。すでに次のステージへの準備も整えている。4月にはグループの新環境戦略「EARTH FOOD CHALLENGE 2030」を始動。グループ理念でもある「EARTH FOOD CREATOR」(地球食を創造する人)として、植物由来の食材と包材への全量切り替え、個人の嗜好や健康ニーズに適合したパーソナルフードにも照準を合わせ、日本発グローバルブランドのさらなる進化に挑戦している。

 「マーケティングも経営もアートである」が持論の安藤氏に、楽しく真剣に未来をクリエイトする方法を聞いた。

時価総額1兆円を
目標に掲げた理由

編集部(以下青文字):いまから4年前、みずからの職を賭して、時価総額1兆円を宣言された際、いまどきここまで腹をくくった発言を正々堂々と言える経営者がいるのかと驚かされました。そして今年6月、まさしく有言実行で、時価総額1兆円を達成されました。なぜ、時価総額を経営目標として掲げられたのか、その真意を教えてください。

日本発グローバルマーケター<br />「地球食」 で世界を制す日清食品ホールディングス
代表取締役 取締役社長 CEO 安藤宏基
KOKI ANDO
1947年生まれ。1971年に慶應義塾大学商学部卒業後、コロンビア大学を経て、1973年に日清食品(現日清食品ホールディングス)に入社、米国日清の取締役に就任。その後、海外事業部長、開発部長、マーケティング部長、常務営業本部長、専務、副社長などを経て、37歳で代表取締役社長に就任。マーケティング部長時代には、「日清焼そばU.F.O.」「日清のどん兵衛」などのヒット商品を数多く手がけ、社長就任後はブランドマネージャー制の導入や持ち株会社制への移行などの経営改革を断行した。世界ラーメン協会会長、国連世界食糧計画(WFP)協会会長、日本経済団体連合会常任幹事などの要職を兼ねる。主な著書に『カップヌードルをぶっつぶせ!』『勝つまでやめない! 勝利の方程式』『日本企業 CEOの覚悟』(いずれも中央公論新社)などがある。

安藤(以下略):どれほど視界の悪い環境下でも、野心的な目標を掲げ、経営資源を総動員して、会社を成長に導いていく。これが経営者の仕事です。ならば、日清食品がいま打ち立てるべき大志は何か。当時それを考えた時に行き着いたのが、時価総額1兆円でした。

 しかし、私がこの目標を掲げようとすると、取締役会からは異論が出されました。たとえば、「株価は投資家が決めるものであり、経営は期待に応えるだけの業績を上げればよい」「株主が評価する時価総額を、経営目標に掲げるのはリスクが高すぎる」等々。このような意見が上がる中、私は「株価は経営責任です」と申し上げました。

 たしかにそれまで、時価総額を正面切って経営目標に掲げた上場企業はほとんどありませんでした。けれども、成長という夢をすべてのステークホルダーと共有するのが重要だというのが私の考えでした。なぜなら、株価とは〝未来への期待〟でもあるからです。

 つまり、業績を上げると同時に、説得力のあるビジョンを掲げれば、それはおのずと株価に反映されるはずだ。グローバルカンパニーとして多くのステークホルダーを幸せにする高付加価値のビジネスを実現できるか、株価はそのバロメーターなのだ、と。

 それゆえ、「EPS(1株当たり純利益)の年成長率10%」も公約し、社員にも株価を意識してもらおうと「KABUTERIA(注)」という日本初の株価連動型社員食堂をつくりました。また1兆円にかけて、「いっちょう、やりますか!」を社内スローガンに掲げました。こうしたさまざまな施策も含めて、とにかく時価総額1兆円という目標を全社一丸となって達成しよう、そう決断したわけです。もちろん、この4年間は山あり谷ありでしたが、結果的には何とか達成することができました。

(注)「KABUTERIA」(株価連動型社員食堂)は、2016年3月に東京本社2階でオープン。前月の月平均株価を当月の月末日終値が上回ると、「ご褒美デー」としてマグロの解体ショーやシュラスコ肉祭りなど、豪華イベント付きメニューが振る舞われる。一方、下回ると、役員みずからが割烹着姿で質素なメニューを配膳する。社員に株価を意識させるユニークな取り組み。

 それなりの確信がなければ、こうした大きな目標を公言できなかったのではないですか。ちなみにソニー創業者の盛田昭夫氏は、「アイデアはあってもそれを実行する勇気のある人は少ない。その原因は勇気を奮い起こすに足るだけの確信がないから。つまり、確信を持てるだけのデータをつかんでいない。足りないのは集中できるだけの勇気と、確信を持つための勉強ではないか」と言っています。安藤さんにも大きな目標を担保するだけのデータや確信があり、近い将来、日清がグローバルカンパニーとなる姿がクリアに見えていたように思われますが、いかがでしょうか。

 はっきり見えていたわけではなく、かすかに見えていたというのが正直なところです。

 当社の製品は、日々の食生活に根差したコンシューマーフーズですから、需要が一気になくなることはありません。その意味では、食品産業、特に我々のコアビジネスである即席麺業界は、景気変動の影響を被りにくく、比較的安定したディフェンシブな分野だといえます。平時は新製品や既存製品のリポジショニングになどによって需要を創造することが可能ですし、今回のコロナ禍のような有事にも強いという特性がある。つまり、事業構造の強化と未来への準備を怠ることがなければ、経営環境の変化にも十分対応できる、という確信はありました。

 事業構造の強さ、レジリエンス(しなやかさ、強靱さ、適用力)という点では、創業者が掲げた即席麺の「開発5原則」が活きています。この5原則には順番がありまして、1番目が「美味しい」、2番目が「衛生的で安全」、3番目が「調理が簡便」、4番目が「長期保存できる」、5番目が「リーズナブルプライス」です。そして2018年からは、6番目に「栄養と健康」、7番目に「環境保全」を付け加えました。これら7原則は、私が会長を務める世界ラーメン協会が取り組むテーマでもあります。

 未来への準備という点では、カップヌードルのグローバルブランディングを戦略的に進めてきたことが挙げられます。特にBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)では、袋麺だけでなく、所得の向上とともにカップ麺の需要が急伸しています。

 それぞれの国や地域にふさわしいやり方で事業を展開していますが、カップヌードルというグローバルに通用する高付加価値製品が中核にあることが何より大きい。さらに、チルドや冷凍食品、お菓子、シリアル、ドリンクヨーグルトなど、さまざまな周辺事業が生まれています。