2020年9月29日、『ダイヤモンドクォータリー』誌は、創刊4周年記念フォーラム「前例なき未来に向けて『日本のデジタル経営』を構想する」を開催した。基調講演には、東京大学教授の藤本隆宏氏が登壇し、「サービス化・デジタル化・感染症・米中摩擦時代の開かれた『ものづくり』戦略」という演題でプレゼンテーションを行った。これに続いて、レイヤーズ・コンサルティングの杉野尚志氏、オートメーション・エニウェア・ジャパンの由井希佳氏、デロイト トーマツ グループの松江英夫氏、そして最後に「プレステの父」と呼ばれる元ソニー・コンピュータエンタテインメントCEOの久夛良木健氏が、それぞれにレクチャーを披露した。以下は、藤本教授の基調講演のサマリーである。

いまは「新SDGs」の時代

2020年代、日本のものづくり企業は再浮上する

東京大学大学院 経済学研究科 教授 藤本隆宏TAKAHIRO FUJIMOTO東京大学大学院経済学研究科教授。東京大学経済学部卒業後、三菱総合研究所を経て、ハーバード・ビジネス・スクールにてDBA(経営学博士)を取得。東京大学経済学部助教授、1999年より現職。また、東京大学ものづくり経営研究センター長、一般社団法人ものづくり改善ネットワーク代表理事を兼ねる。主な著作に、『生産システムの進化論』(有斐閣、1997年)、『生産マネジメント入門〈1〉〈2〉』(日本経済新聞社、2001年)、『能力構築競争』(中公新書、2003年)、『日本のもの造り哲学』(日本経済新聞出版社、2004年)、『ものづくりからの復活』(日本経済新聞出版社、2012年)、『現場主義の競争戦略』(新潮新書、2013年)、『現場から見上げる企業戦略論』(KADOKAWA、2017年)が、共著に、『自動車産業21世紀へのシナリオ』(生産性出版、1994年)、『トヨタシステムの原点』(文眞堂、2001年)、『ビジネス・アーキテクチャ』(有斐閣、2001年)、『ものづくり経営学』(光文社、2007年)、『ホンダ生産システム』(文眞堂、2013年)、『ITを活かすものづくり』(日本経済新聞出版社、2015年)、『日本のものづくりの底力』(東洋経済新報社、2015年)、『ものづくりの反撃』(ちくま新書、2016年)、などがある。また、ハーバード・ビジネス・スクール学長(当時)のキム B. クラークとの共著Product Development Performance: Strategy, Organization, and Management in the World Auto Industry, Harvard Business School Press, 1991.(邦訳『製品開発力』ダイヤモンド社、1993年。増補版が2009年に発行)は、第35回日経・経済図書文化賞を受賞。

 我々の言う「ものづくり経営学」とは、言い換えれば「現場の経営学」です。マクロ経済の研究者は上から俯瞰しますが、我々は下から見上げる。すなわち、現場の視点で考える。今日はそのような視点からお話しいたします。

 さて、SDGs(持続的な開発目標)への注目が先進諸国で高まっていますが、一方で、私はもう一つのSDGs、つまり「サステナブル」(Sustainable)、「デジタル」(Digital)、「グローバル」(Global)という3つの視点と、さらに「ソーシャル」(social)つまり社会貢献も視野に入れて、総合的に考えないと、状況を正しく認識し、問題を適切に解決することが困難な時代だと思っています。ただし、これらは同時に進行していますから、言わば連立方程式を解くがごとく、統合的に考えなければなりません。

 まずソーシャル(s)ですが、日本には「三方良し」、つまり「売り手良し、買い手良し、世間良し」という考え方があります。これは、今後2020年代において日本の産業界が保持する強みであり、こうした姿勢があるからこそ、低成長下でもトヨタ生産方式が維持されている。海外でトヨタ生産方式やリーン生産方式がなかなか定着しないのは、こういう考え方が希薄な場合です。

 サステナブル目標(S)は広範ですが、いま、世界が注目するのは新型コロナウイルスの世界的流行です。我々は、これを単独で分析せず、たとえば震災、水害、火災などの物理的な「見える災害」と、今回のような「見えない災害」を総合的に分析し対処すべきだと考えます。

 続いて、デジタル(D)、グローバル(G)についてです。奇しくも1990年代、デジタル化とグローバル化が同時に訪れました。この歴史的偶然は、日本にとってダブルパンチであり、特に「世界の工場」と呼ばれた中国の台頭によって、日本の貿易財はグローバルコスト競争でさんざん苦しめられました。

 何しろ、日本の平均賃金が20万円のところ、中国のそれは1万円前後でしたから、20倍のコストというハンディを背負わなければなりません。加えて、1995年の阪神・淡路大震災、2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災、それ以降も毎年のように起こる地震や風水害など、過去30年間、さまざまな大災害に見舞われてきました。

 しかし現在、その長いトンネルから抜けつつあります。たとえば、2005年頃から、中国の賃金がおよそ5年で2倍のペースで上がり始め、2010年代後半にはスローダウンしましたが、いまの日本の賃金は中国の3〜5倍くらいでしょう。その間、多くの日本のものづくりの現場では、トヨタ生産方式などの生産革新を導入し、物的労働生産性を、3年で3倍、5年で5倍、10年で8倍といったペースで向上させてきました。

 このように、30年にわたって大競争と大災害の両面で苦労してきた日本企業優良国内工場は、いまや非常に高い経験値を持っています。だからこそ、新型コロナウイルスのパンデミックの最中にありながらも、日本企業はその存在感を高めています。事実、ここ半年間、フル稼働を続けている工場が、日本にはけっこうあります。これが意味するところは、第1に感染症対策が万全であった、第2に国内外のサプライ拠点の閉鎖に対して、迅速な復旧能力や代替生産能力によってサプライチェーンを止めていない、そして第3にこの組織能力を認められ海外などから大きな仕事を受注している、以上です。たとえば半導体設備関連でも「貴社の国内拠点はパンデミック下でも納期の信頼性が高いので、仕事をお任せしたい」という国外からの発注があり、その結果、4月以来、緊急事態宣言の中でもずっとフル稼働状態の工場があるわけです。

 新型コロナウイルスの実態はまだ判然としていませんが、中期的には、平時と有事が繰り返しやってくる、災害は忘れる前に再びやってくる時代と思われます。そしてその災害にも、前述のように「見える災害」と「見えない災害」があります。しかし日本は従来から「見える災害」大国ですから、見える災害への経験値がことのほか高く、必然的に見える災害への対策が十分整っている工場が多いのです。そしてその能力はかなりの部分において「見えない災害」にも応用可能です。こうした災害対策に関する広い視点が、いまは必要です。

 そこで、今回のパンデミックのような「グローバル規模の見えない災害」について考えてみましょう。制度の違いなどもあり欧米諸国などと日本とを単純には比較できませんが、日本企業の国内工場は、世界的に見れば比較的に止まっていません。それは「感染防御能力」「現場復旧能力」「代替生産能力」という災害対応の組織能力が高水準にあるからです。これら3つが揃っていれば、見える災害、見えない災害のどちらにも対応可能といえるでしょう。

 とりわけ今回は、感染防御能力と代替生産能力が効果を発揮しています。今日、サプライチェーンはグローバルに広がっており、今回のような見えない災害では、どの拠点でトラブルが生じるかわからないのですが、感染による拠点閉鎖を最低限に抑えたうえで、世界中のどの生産拠点が止まっても、在庫期間中に代替生産を立ち上げてサプライチェーンを平時型から災害時型に変容させられれば、供給が途切れることはないのです。