摂食障害の方たちに共通して認められる特徴は、意外に思われるかもしれませんが、自己コントロール力の強さです。そのために、大概の人ならば挫折するはずの無理なダイエットでも継続できてしまったりして、それを契機に摂食障害が発症することも多いようです。

 本来人間は、「心」(=「身体」)が必要なものを必要な分量だけ「食欲」という形で要求してくる見事なシステムを備えています。そこにダイエットという「頭」による計算が強制的に介入し、食行動にコントロールをかけてくると、ある限度を超えたところで「心」(=「身体」)側は、食欲のストライキ(拒食)か暴動(過食)という形で、レジスタンス運動を始めることになります。

 特に過食症においては、過食の後に自ら嘔吐するパターンが多く、大量に摂取された食物は、ほとんど吸収される間もなく吐き出されることになります。しかし、この「無意味」で「無駄」な行為にこそ、症状の反逆としての意義が潜んでいると考えられるのです。

 自己コントロール力の強い方たちは、強力な「頭」の監視下で、絶えず「有意義」であることを強いられて生活しています。その息の詰まる生活に対して「心」(=「身体」)が反逆し風穴を開けようとしたのが、「無意味」で「無駄」な過食嘔吐という症状なのです。

何もしない時間がなければ、
「心」の声は聴こえない

 何も「しない」空白の時間は、「生産マシーン」としては「無駄」な時間に見えても、実は「心」(=「身体」)にとってはなくてはならない大切な時間です。

 人間は、何も「しない」空白の時間があってこそ、内省や創造と言われるような内的作業が可能になるもので、ボンヤリと様々なことに思いを巡らしてみたり、自分自身との対話を行なったりします。また、その退屈さゆえにどこかに新しい世界はないかと模索してみたり、とりとめもない空想にふけったりするのです。このように自由な精神活動こそが、人類の文明や文化を築いてきた根源でもあると言えるでしょう。

 「頭」はいつも大声で主張してきますが、一方の「心」のほうは、普段はかすかな声でささやくだけです。そのかそけき「心」の声を聞き届けるには、どうしても空白の時間が欠かせないのです。

 知らず知らずのうちに現代人をむしばんでいる「有意義」という病に対して私たちが対抗できる方法があるとすれば、それは、あえて「無為」な空白の時間を大切にする意識を持つことでしょう。

 次回は、「自信が持てないという悩みについて考えてみたいと思います。