吉野ケ里遺跡邪馬台国であったと有力視される吉野ヶ里遺跡 Photo:PIXTA

邪馬台国はどこにあったのか――。日本の古代史を語る上で永遠のテーマの一つだ。だが、古代史研究の学界は旧態依然とした“男社会”で、女性の視点がほぼ皆無だという。そうした中で新しい風を吹き込む一人の女性がいる。各媒体で人気の「連載コラム」の著者に聞くシリーズ、第3回は古代史の総合雑誌『季刊邪馬台国』(梓書院)で連載中の「オトナ女子のコラム 晴れ、ときどき、古代史」の著者・藤江かおり氏だ。(フリーライター 岡田光雄)

論争が続く九州説と畿内説
出版界では九州派が優勢?

 2~3世紀の日本列島に存在し、卑弥呼が女王に君臨していたとされる連合国家「邪馬台国」。

 ご存じの通り、邪馬台国の所在地を巡っては大きく「九州」と「畿内」の2つの説がある。これは江戸時代から続く論争であり、令和に入った現在も両陣営の間では熾烈(しれつ)な戦いが繰り広げられている。

「古代史の世界は一人一説といわれるほど、さまざまな解釈があります。あくまで主流派の傾向としての話ですが、九州説を唱えているのが文献学界(文献学派)、畿内説を唱えているのが考古学界(考古学派)です。また、少しややこしいのですが、文献の中でも『日本書紀』や『古事記』など日本の書物を根拠に主張しているのが九州説の文献学派、その一方で中国の文献である『魏志倭人伝』を根拠としているのが畿内説の考古学派ともいわれています」(藤江氏、以下同)

 九州説と畿内説、どちらに分があるのかは評価が難しいところだ。