橘玲の日々刻々 2020年12月3日

人間はチンパンジーよりもアリに似ている。
巨大な群れ(社会)をつくる生き物は自然界に社会性昆虫とヒトしかいない
【橘玲の日々刻々】

 マーク・W・モフェットは昆虫の生態を研究するフィールド生物学者で、「昆虫学界のインディ・ジョーンズ」の異名をもつ。「高校中退後、大学に進学し、近接撮影(マクロ撮影)を独学で修得し、ハーバード大学で昆虫学・生物学の大家E・O・ウィルソンの指導のもと略奪アリの研究で博士号を取得し、社会性アリと森林樹冠に生息する生物の生態研究を専門にしている」という。

『人はなぜ憎しみあうのか 「群れ」の生物学』(早川書房)では、そんなモフェットが、さまざまな生き物の「群れ」を論じている。原題は“The Human Swarm: How Our Societies Arise, Thrive, and Fall(ヒトの群れ われわれの社会はどのように勃興し、繁栄し、崩壊するのか)だが、誰もが知りたい謎に焦点を当てたタイムリーな邦題になっている。

 ところで、アリを専門に研究してきたモフェットが、なぜヒトをテーマにすることになったのか。それは、「社会的な動物としての人間は、チンパンジーやボノボのような近縁種よりアリに似ている」からだ。今回は、このかなり衝撃的な前提から始まる興味深い「群れの生物学」を見てみよう。

photo:m_warakorn / PIXTA(ピクスタ)

何億という巨大な群れ(社会)をつくる生き物は自然界に社会性昆虫とヒトしかいない

 収斂進化というのは、「環境が同じであれば、進化の系統が異なっていても、同じような形質をもつようになる」という進化(自然淘汰)の原理だ。よく知られているのがオーストラリアの有袋類で、旧大陸に広く分布する胎盤のある哺乳類がいないため、ネコとフクロネコ、アリクイとフクロアリクイ、モモンガとフクロモモンガ、オオカミとフクロオオカミなど、旧大陸の動物ときわめてよく似た有袋類が独自に進化した。

 ここからわかるのは、生き物の生態が似てくるのは、遺伝的にどれだけ近いかだけでなく、環境も重要だということだ。アリとヒトは、自然界のなかでよく似た環境のなかで暮らしている。なぜなら、何億という巨大な群れ(社会)をつくる生き物は自然界に社会性昆虫とヒトしかいないから。

 モフェットは、「人間の社会は、私たちがあまり信じたくないほどまでに、社会性昆虫の社会に似ている」という。わたしたちはアリと同じく、「とてつもなく大規模な社会を維持する」という強い制約を受けているのだ。

 この本の最初で、アルゼンチンアリという社会性昆虫のきわめて興味深い生態が紹介される。もともとアルゼンチ北部に生息していたが、1900年代のはじめにコンテナに紛れてカリフォルニアにやってきた。

 この小さな社会性昆虫の生態を調べた研究者たちは、2004年まで、「アルゼンチンアリは全員がひとつの幸せな家族に属している」と考えていた。バークレー(カリフォルニア)の自宅にいるアルゼンチンアリを1匹つまみあげ、820キロメートル車を走らせてメキシコ国境まで行き、そこで離したとしても、なんの問題もなく社会に溶け込み、自分の仕事を始めるからだ。

 だがその後、まったく偶然に、異なる地域から採取したアルゼンチンアリのサンプルを一緒にすると、すぐさま激しい戦いが始まり多くのアリが殺された。この「事件」によって専門家たちのアルゼンチンアリに対する考え方が一変し、いくつかのコロニー(社会)に分かれていることが判明した。

 カリフォルニアにはアルゼンチンアリの4つのスーパーコロニーがあり、ラージ・コロニーはメキシコとの国境線から、サンフランシスコを通ってカリフォルニアのセントラルバレーまで延びている。南カリフォルニアの残りの地域はレーク・ホッジス・コロニーの縄張りで、面積は50平方キロメートルにおよぶ。

 両者の境界はサンディエゴ郊外にあり、短く刈り込んだ芝生の根元にできた細長い線が「国境」だ。境界線をわずかでも超えればたちまち「国境監視隊」に発見され、殺されてしまうからで、小さな死骸が重なって山になっている。「そこでは毎月、100万匹以上のアリが命を落とす。おそらくは史上最大の戦場と言えるだろう」とモフェットはいう。

 原産地のアルゼンチンでは、アリたちはたくさんの小さなコロニーに分かれ、縄張りの争奪戦を繰り広げていた。だがそのうちの数匹が荷物に紛れ込み、ライバルのコロニーが存在しない北米にやってきたことで、数十年かけてとてつもなく大きなコロニー(スーパーコロニー)をつくりあげた。そして、とうとうこのコロニーが他のコロニーと接触したことで、終わりのない殺し合いが始まったのだ。

 ヒトの近縁種であるチンパンジーやボノボも群れをつくるが、どんなに多くても100頭前後で、全員がお互いをよく知っている。メンバーを個体として認識することが群れの条件になっていて、認知的制約を超える(全員を覚えられないくらい個体数が多くなる)と分裂して別の群れをつくる(チンパンジーは120頭を超えると群れを維持できずに分裂し、ボノボはそれより少ない)。

 数百万や数億はもちろん、数千のメンバーがいる社会をつくる場合でも、この認知的な限界が大きな障害になる。大規模な社会には、「相手が誰かは知らないが、同じ社会に属していることはわかる」という仕組みが必要なのだ。モフェットはこれを「匿名性」という。

 匿名性の社会には、「アイデンティティを表す共通のしるし」がある。アルゼンチンアリではこの“しるし”は匂いで、それぞれのコロニーごとに遺伝的に微妙に異なる「炭化水素の分子構造」をもっている。それが一致すればどれほど地理的に離れていても同じ社会のメンバーとして受け入れられるが、匂いが異なれば「敵」として殺される。

 モフェットが強調するのは、ヒトもこれと同じ「本性」をもっているということだ。なぜならそれ以外に、匿名性の大規模社会を維持する方法はないのだから。

ヒトは、言葉を「俺たち」と「奴ら」を分ける強力な“しるし”にしている

 国家を成立させるには、「なじみのないメンバーが自分の近くにいても気にならない」ようにならなければならない。チンパンジーは見知らぬ個体と出会うと、生殖の機会でないかぎり、その場から立ち去るか闘争する。それに対してわたしたちは、「見知らぬ人がいっぱいいるカフェにまったく平気で入っていく」ことができる。この一見すると何でもない行為こそが、「人類が成し遂げたことのなかで最も正しく評価されていないことのひとつ」だとモフェットはいう。

 お互いが他のメンバーを個体として認識できないほど大きな社会をつくるには、“しるし”が必要だ。アリではアイデンティティの“しるし(匂い)”は遺伝的に決定されているが、ヒトのアイデンティティは歴史的・社会的につくられる。現代社会では、もっとも影響力の大きなアイデンティティは「国家(国籍)」で、それに「宗教」や「人種」「民族」がつづくことになるだろう。

 だがこれは、アイデンティティは恣意的でいつでも取り換えられるということではない。いったんできあがったアイデンティティは「社会的現実」としてひとびとを強く拘束する。こうして「日本人vs中国人/韓国人」「黒人vs白人」「ヒンドゥーvsムスリム」などのアイデンティティ対立が起こる。この対立の構図は、生物学的にいうならば、異なるコロニーに属するアルゼンチンアリの「群れの対立」と同じなのだ。

 ヒトは社会を構築するためにさまざまな複雑な“しるし”を使うが、そのなかでもっとも重要なのは「言葉」だ。理想主義者のいうように、ヒトが他者とつながる本性をもっているならば、さまざまな言葉はコミュニケーション可能なように徐々に似てきて、やがてはひとつの言葉になるはずだ。だがバベルの塔の神話が示すように、実際に起きたのはこの逆で、共通の言葉が、コミュニケーション不可能なように「群れ」ごとに分離していく(かつては同じ「ユーゴスラヴィア語」を使っていたセルビアとクロアチアでは、わずか20年あまりで異なる言葉を話すようになった)。

 これはヒトが、言葉やイントネーションを「俺たち」と「奴ら」を分ける強力な“しるし”にしているからだ。地方からの転校生が、方言を理由に「よそ者」扱いされるのも同じだろう。

 ヒトは言葉以外にも、刺青、髪型、服装、歩き方、仕草など、きわめて多様な“しるし”を駆使して社会をつくっていく。これはヒトの本性で、わたしたちはある特定の社会に属していないと「存在」することができない。個人というのは、特定の社会の“しるし”すなわちアイデンティティをもつ者のことで、いかなるアイデンティティももたないのは「人間」ではないのだ。

 社会への帰属意識が強い感情を喚起し、熱狂や多幸感を生み出すようにヒトは進化した。そのポジティブな面が「仲間意識(一体感)」で、ネガティブな面が「排除(差別)」だ。これはコインの裏表のような関係なので、ネガティブな面をなくしてポジティブな効果だけ享受することはできない。社会=アイデンティティをつくることは、「俺たち」ではない(“しるし”をもたない)者を排除することなのだ。


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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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