前回(「スタインウェイ」が 高級グランドピアノで築いた鉄壁のビジネスモデル)は、ヤマハが高級グランドピアノ市場に挑む上で立ちはだかる巨大な壁「スタインウェイ」のビジネスモデルを解説しました。では、どうすれば、ヤマハはスタインウェイの壁を超えることができるのでしょうか。後編では、グローバルでトップブランドの地位を確立した自転車部品メーカー「シマノ」の戦略から、そのヒントを探ってみたいと思います。(KIT虎ノ門大学院教授 三谷宏治)

シマノもまずはプロ市場でブランド向上を図った

ヤマハが自転車部品メーカー「シマノ」に学ぶべきトップブランドへの道凱旋門を背にスタートするツール・ド・フランス Photo: Tim de Waele /Getty Images

 シマノの創業は1921年。翌年には自転車部品のフリーホイールの生産を始め、徐々に変速機などにも領域を広げましたが、赤字の小企業のままでした。ところが、1960年代後半に米国で起ったスポーツ自転車ブームに後押しされる形で大躍進を遂げました。売り上げ規模は数百億円になりました。

 次に定めた目標が「自転車の本場」、欧州市場の攻略でしたが、ブランド力がなく全然売れません。

 欧州ではツール・ド・フランス、ジロ・デ・イタリア、ヴエルタ・ア・エスパーニャ(4大レース:グランツールと呼ばれる)に代表される自転車ロードレースが盛んで、自転車メーカー・自転車部品メーカーも、非常に長い歴史と伝統・人気を持っています。1933年設立のカンパニョーロはその代表です。そもそも今のディレーラー変速機は、その創立者の発明なのですから。欧州の消費者は、部品メーカーのブランドにも、大いに拘(こだわ)ります。名も知れぬ極東の自転車部品など誰も見向きもしなかったのです。

 このマーケットで成功するには、プロレースに参入し好成績を挙げること、4大レースで実績を積み重ねることが必須だったのです。

 シマノはそのために超高品質のプロ用製品・ブランド「Dura Ace(デュラエース)」を創り、プロレースに参入しました。1973年のことです。人と時間をかけ、4世代を経たデュラエースが有力チームに採用されたのが14年後の87年、ジロ・デ・イタリアで初めて勝ったのが88年のこと。そして遂に99年、ランス・アームストロング選手 が、デュラエース装備の自転車でツール・ド・フランスを制します。プロレースへの参入から最高峰での勝利まで、26年の道のりでした。