●「人間の価値」を教えてくれた長女の存在
普通だったら、その「ひとつの価値観」だけで一生涯を終えていたことでしょう。
私にとって幸運だったのは、結婚して3年後に、やっと生まれた長女が、「知的障害児であった」ということでした。
この子には、「欠点」を指摘しても、意味がありません。
そもそも「欠点の意味」が、彼女にはわかりません。
なぜ、努力をしなければいけないのか?
なぜ、頑張らなければいけないのか?
その「意味」がわかりません。
ただ彼女は、ニコニコと楽しそうに、私たちに微笑みかけるだけでした。
私たちは、ずいぶんこの子によって癒されました。いろんな事件もありましたが、この子をずっと見ていて、この子とつきあっていく中でわかったこと…。
それは、「人間の価値」は、努力すること、頑張ることでは決まらないということ。
人間の価値は…、
「そこにいるだけで喜ばれる存在になる」こと。
「そこに座っていてくれるだけでまわりの人がやすらいだり、静かな気持ちになったり、穏やかな気持ちになったり、温かい気持ちになったりする、そういう存在になる」こと。
つまり、笑ったり、感謝したり、頼まれごとをしたりすることで、「よき仲間に囲まれ」て、「喜ばれる存在になる」ことこそ、人間の価値であり、人生の目的であり、だからこそ、「人生は楽しむためにある」ということでした。
人間の価値、人間の幸せには、実は、「もうひとつ別の世界があった」ということが、この長女と暮らす中でわかったのです。
一般的に教えられていた価値観には、「今、足りないものを挙げつらねて、それを手に入れるために努力する、頑張るという人間の価値、生き方」というのがあります。それはそれで否定はしません。
しかも、世の中の価値観は、99%がそのようにできあがっています。ほとんどの人がそう思わされ、そういう教育を受けてきました。
ですが、「もうひとつの価値観がある」ということに気がついたのです。
それは、「今、足りていない10個のもの」を追い求めるのではなく、「すでに与えられている9990の恵み」に、感謝をすることです。
今、足りないものを10個挙げつらねて、「それを手に入れるまでは不幸であり、手に入れたら幸せだ」という価値観も、たしかに存在しています。