人間の価値を教えてくれた長女の存在

 普通だったら、その「ひとつの価値観」だけで一生涯を終えていたことでしょう。

 私にとって幸運だったのは、結婚して3年後に、やっと生まれた長女が、知的障害児であったということでした。

 この子には、「欠点」を指摘しても、意味がありません。
 そもそも「欠点の意味」が、彼女にはわかりません。

 なぜ、努力をしなければいけないのか?
 なぜ、頑張らなければいけないのか?
 その「意味」がわかりません。

 ただ彼女は、ニコニコと楽しそうに、私たちに微笑みかけるだけでした。

 私たちは、ずいぶんこの子によって癒されました。いろんな事件もありましたが、この子をずっと見ていて、この子とつきあっていく中でわかったこと…。

 それは、「人間の価値」は、努力すること、頑張ることでは決まらないということ。

 人間の価値は…、
「そこにいるだけで喜ばれる存在になる」こと。
「そこに座っていてくれるだけでまわりの人がやすらいだり、静かな気持ちになったり、穏やかな気持ちになったり、温かい気持ちになったりする、そういう存在になる」こと。

 つまり、笑ったり、感謝したり、頼まれごとをしたりすることで、よき仲間に囲まれて、喜ばれる存在になることこそ、人間の価値であり、人生の目的であり、だからこそ、人生は楽しむためにあるということでした。

 人間の価値、人間の幸せには、実は、「もうひとつ別の世界があった」ということが、この長女と暮らす中でわかったのです。

 一般的に教えられていた価値観には、「今、足りないものを挙げつらねて、それを手に入れるために努力する、頑張るという人間の価値、生き方」というのがあります。それはそれで否定はしません。

 しかも、世の中の価値観は、99%がそのようにできあがっています。ほとんどの人がそう思わされ、そういう教育を受けてきました。

 ですが、「もうひとつの価値観がある」ということに気がついたのです。

 それは、今、足りていない10個のものを追い求めるのではなく、すでに与えられている9990の恵みに、感謝をすることです。

 今、足りないものを10個挙げつらねて、「それを手に入れるまでは不幸であり、手に入れたら幸せだ」という価値観も、たしかに存在しています。