なので、今、足りないものを挙げつらねて、「あれもほしい」「これもほしい」という気持ちは、まったくありません。
なぜなら、たくさんのものをいただいているのに、「あれをよこせ」、「これをよこせ」というのは、どうも違うと思うのです。
●「夢」や「希望」は、人間の向上心からくるものなのか?
「夢」や「希望」という言葉を検証してみます。
「夢」や「希望」というのは、もしかすると…、
足りないものをあれこれ挙げつらねて、
もっとほしい、まだまだほしい、
手に入れたいと言っていること
にほかならないのかもしれません。
「夢」や「希望」という「聞き心地のよい言葉」で、実は、私たちは、「欲望」をかきたてられ、「要求」を宇宙に向かって突きつけるのがいいことだ、とずっと洗脳させられてきたのかもしれません。
それとは逆に「今いただいているものに感謝」という概念があちこちに入り込んでくると、「夢」や「希望」というものが、いちじるしく減っていくことに気がつきました。
人間は、「今、いただいているものに気がつき、感謝をはじめる」と、あれがほしい、これがほしいという気持ちが、いちじるしく減っていくようなのです。
「でも、人間には向上心が必要ではないのか」と言う人がいます。一般的にいわれる「向上心」というものは、本当に必要なのでしょうか?
「あれをよこせ、これもよこせ、あれもほしい、これもほしいと言っている人間の向上心」というものと、「あれに気がついて感謝」、「これに気がついて感謝」、「まわりの人に感謝」、「天上界の方々に感謝」をしている人の向上心と、どちらが本当の向上心なのでしょうか。
世の中の出来事というのは、1人でできることなどは、たぶん、ひとつもないのではないかと思います。
「すべてのことは全部、自分以外の方々のおかげで成り立っている」そこに気がついて「感謝すること」のほうがむしろ、人間として向上することなのかもしれません。
自分の「我」で、自分の「意思」で何かを手に入れたいと思うことが、はたして向上心といえるのかどうか、よく考えてみたいところです。
●「もうひとつの幸せ論」を実践する1%の人々
そうやって、40年ほど、宇宙のしくみ、構造などに興味を持ち、研究を続けてきましたが、その結果、わかったこと。
幸せというものは…、
「今、足りないものを探して、手に入れること」ではなくて、「自分がすでにいただいているものに感謝し、自分が恵まれていることに気がつき、嬉しい、楽しい、幸せ…、と生きていること」
なのです。そして、そのために「実践」することは…、
「思いを持たず」、よき仲間からの「頼まれごと」をただやって、どんな問題が起こっても、すべてに感謝する(受け入れる)ことであり、「そ・わ・かの法則(掃除、笑い、感謝)」を生活の中で実践することであり、「ありがとう」を口に出して言い、逆に「不平、不満、愚痴、泣き言、悪口、文句」を言わないことなのです。
すると、すべての問題も出来事も、幸せに感じて「よき仲間に囲まれる」ことになり、「喜ばれる存在」になる、これこそが「人生の目的」であり、「幸せの本質」なのです。