橘玲の日々刻々 2021年2月25日

「人類は見知らぬ敵を殺して楽しむように進化した」
「自己家畜化」したヒトの道徳性と邪悪さ
【橘玲の日々刻々】

ヒトの「家畜化症候群」はいつ始まったのか?

 ヒトの「家畜化症候群」はいつ始まったのか? これを確定するのは困難だが、ランガムは「30万年前」との説を提唱する。その頃にヒトが高度な言語能力をもつようになったと考えられるからだ。

 道徳性の根拠として「評判仮説」がある。「有益な人として知られることが人生の成功に大きな影響力を持ち、善行が報われ、美徳が「適応」になるというのだ。

 認知心理学者ジャン・エンゲルマンはこの仮説を確認するために、「チンパンジーは評判を気にするか?」を調べた。「被験者」となったチンパンジーは、「仲間の食べ物を盗むことができるが、それをときどき別のチンパンジーに見られる」という状況に置かれた。評判を気にするなら、見られているときに食べ物を盗む回数が減るはずだが、そのようなことはなかった。ほかのチンパンジーを手助けする実験でも同じ結果が得られた。

 チンパンジーは個性のちがいを認識しており、協調性がある個体は好かれ、そうでない個体は避けられる傾向にある。それにもかかわらず、仲間から協調的に見られるように意識することはない。なぜなら彼らは話せないから。噂話をするための高度な言語・コミュニケーション能力がなければ、他人からどう思われようが関係ないのだ。

 エンゲルマンは次に、就学前の5歳児でチンパンジーと同じ実験をした。すると5歳児は、チンパンジーとちがい、誰かが見ているときは盗む回数が減り、仲間を手助けすることも多くなった。ヒトは言語を獲得したことで評判を意識するように進化し、それが脳のプログラムに組み込まれているらしい。

 これは「評判仮説」の有力な証拠になるが、ランガムは、これだけではヒトの攻撃性が大幅に低くなったことを説明できないという。誰でも心当たりがあるだろうが、社会には一定数のきわめて暴力的な男(女もいるかもしれないがごく少数)が存在するからだ。圧倒的なちからをもち、暴力で相手を思いどおりにできるなら、評判など気にする必要はないだろう。たんなる噂話では「暴君」に対抗できないのだ。

 そこでランガムは、「処刑仮説」を提起する。高度な言語能力を獲得したことで(成人の)男たちが結託できるようになり、自分たちにとって不都合な「過剰な暴力」を排除した。暴君は個人対個人では圧倒的に優位でも、相手が徒党を組めば対抗する術はない。こうして乱暴者は処刑され、ベリャーエフのキツネと同じように、従順な個体だけが残って家畜化が進んだというのだ。

 「処刑仮説」の傍証としてランガムは、ナミビアの狩猟採集民に巨大な雄牛を贈って驚かせようとした人類学者リチャード・リーの体験を紹介している。喜んでもらえるとばかり思っていたリーは、男たちから「この雄牛は痩せこけている、ただの骨の袋だ、肉がないから角を食べなければならない」などと侮辱されてショックを受けた。やがて、年長者がリーにこう語った。

 「若者がたくさんの獲物をしとめると、自分をリーダーか重要人物と考え、ほかの人びとを使用人か劣った者として見るようになる。それを受け入れることはできない。いつか彼の自尊心がほかの人間の命を奪うことになるので、われわれは自慢する男を拒絶する。だからいつも、その肉には価値がないと言うのだ。そうして彼を冷静にさせて、威張らせない」

 狩猟採集民の社会は「平等主義」で成り立っていて、過度に目立つ(共同体の和を乱す)者は危険視される。だからこそ、一線を越えて冗長しないように、傲慢に思える行為は徹底的に抑え込まれる。

 格差社会への批判として、昨今、狩猟採集民の平等主義が再評価されているが、ランガムによれば、こうした手放しの称賛は平等主義の根底に暴力(処刑)があることを見逃している。「支配的な行為がないことが取り得の平等主義が、人間がなしうるもっとも支配的な行為によって維持されているというのは、皮肉で不穏な結論」なのだ。

 もうひとつランガムの指摘で重要なのは、狩猟採集民が実現したのが「男たちの平等」であることだ。

 結託して暴君を処刑する能力を得たことで大きな利益を得たのは下位の男たちだった。彼らには、その権力を女たちと分かち合う理由はない。こうして「男の連合」が女や子どもを支配し、社会を統制する仕組みがつくられた。ボス(リーダー)が下位の男性連合に支配されることは「逆支配階級制(反支配階級制)」と呼ばれるが、それは成人男子が自分たちの共通利益を守るためのネットワークで、「家父長制」の起源でもあるのだ。

「評判」と「処刑」の圧力によってヒト(男)は家畜化された

 狩猟採集民は通常、1000人ほどのメンバーからなり、独自の共通言語(または方言)と、葬儀などの文化的習慣を共有する。だが食料確保の制約のため、全員が同じ場所で暮らすことはできず、平均50人以下の「バンド」という集団で生活する。

 バンドにも集団の決定を主導するようなリーダーシップがあり、その範囲においては名声が重要な基準になる。リーダーは称えられ、尊敬されるが、自分の考えを押しつけることはできないし、地位を利用してバンドの構成員から何かを受け取ることもできない。「他者に命令できないということは、狩猟採集民にはボスの地位がないということだ」。

 こうしたルールは、食料を保存する手段がなく(富が蓄積できない)、すべての男が働いて自分の食べ物を獲得しなければならないという制約のなかで、共同体を成立させる必要性から生まれたのだろう。そのため農耕によって富の蓄積が可能になり、下位の男による「平等の専制」が崩壊するにつれて階層性(ヒエラルキー)が現われた。リベラルな知識人のなかには、狩猟採集社会こそが人間の本性で、農耕(穀物)が社会を邪悪なものにしたと主張する者もいるが、これは話が逆で、階層性が「ヒトの本性」であり、狩猟採集社会の物理的な制約によってそれが表に出るのを防いでいたのだろう。

[参考記事]
●「農耕の開始によって定住が始まり、文明が生まれ国家が誕生した」という従来の歴史観はかんぜんに覆された

 狩猟採集社会の「平等主義」というのは、要するに「男たちの専制」のことだった。ランガムは触れていないが、一夫一妻制というのも、男たちに女を平等に「分配」する仕組みとして定着したのではないだろうか。

 傲慢や自慢が「処刑」につながる社会では、「道徳」は仲間による非難から自分を守る盾になる。わたしたちが善悪に敏感なのは、悪と判定されると殺されてしまうからなのだ。

 こうして、ヒトは社会的なあやまちを指摘されると赤面するように進化したのだとランガムはいう。赤面は口先だけの謝罪よりも自責の表明として効果的で、顔を赤くしたり涙を流したりする相手をそれ以上責めようとは思わないのだ。

 規範心理は「文化規範を身につけるために進化した仕組み」のことで、「誰もが従うことを期待されるルール」でもある。すべての文化は、社会化を通して子どもたちに道徳をしつけている。規範心理すなわち道徳は、「社会的な落とし穴」から身を守るために進化した。

 「評判」と「処刑」の圧力によってヒト(男)は家畜化され、攻撃性を減らして同じ社会のメンバーに対して寛容になっていった。これがヒトの“善(ジキル)”の側面だとするならば、“悪(ハイド)”は何だろう?


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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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