四大を出たわけでもない、コネもない、資格もない青年が、派遣社員として大企業に入社した。職種は、社員のコンピュータの不具合などをサポートする「ヘルプデスク」。そんな彼が、どんどん社内の有名人になり、ぶっちぎりの出世を繰り返し、わずか10年で巨大グループ企業の執行役員になってしまった。
遠い国の話ではない。日本で、しかもほんの数年前にあった本当の話である。いったい、どんなことをやったらそんな超高速スピード出世が可能になるのか?
『派遣で入った僕が、34歳で巨大グループ企業の役員になった小さな成功法則』(ダイヤモンド社)には、その秘密が詳細に書かれている。本書より、その超高速スピード出世物語の一部を紹介していこう。

派遣のヘルプデスクからたった10年で役員へ。<br />超高速スピード出世の秘密(4)Photo: Adobe Stock

たった一人のヘルプデスク

会議は続いた。厳しい質問が僕に投げかけられ、「じゃあ、どうやってやれって言うんですか?」と僕が返すという状態が、ひたすら続く。2人以外は、誰も口を開かない。

30分もたった頃、社員の方の表情が緩んだ。
「わかった。そこまで言うなら、二宮くんの言う通りにやってみよう」
それを聞いて、周りの死んだふりをしていたような人たちも急に息を吹き返し、明るい表情で「たぶん大丈夫だと思いますよ!」と、口々に発言し始めた。

僕は、胸を撫で下ろすと同時に「やり切らなきゃ」と使命感でいっぱいになった。脳内にアドレナリンが湧き出ている感じだった。
今回の件を通じて、僕は生意気だが、仕事に全力で向き合う変わったアメリカかぶれのヤツとして認識されることになった。

しかし日本人が集まった組織で、「正しいことは正しい」とゴリゴリ物事を進めると、必ず副作用が発生する。この会議だけが原因ではないが、IT部門の中間管理職の人に「二宮は生意気なヤツ」というレッテルを貼られてしまった。その後、「二宮くんは仕事は真面目だけど、めんどくさいヤツだから」と煙たがられるようになった。

副作用は、これだけではない。同じヘルプデスクで働く、僕と同じ待遇の同僚にも波及した。同僚は僕と同じようには、上に言いにくいことを言えない。だから、どんどん上に言わなければならない情報が、僕のところに集まってくる。

そもそもヘルプデスクの仕事は、肉体的にも精神的にもハードだ。自分の仕事で手一杯な僕は、できるだけ頑張るが、同僚の助けができない時もある。そうなると、一人、また一人と同僚が辞めていった。

そして、なんと最終的には、4人いたヘルプデスクのうち、残ったのは僕だけになってしまったのだ。特に、やる気満々だったヘルプデスクのリーダーを努めていた先輩が辞めてしまった時は、精神的にこたえた。彼は前日まで普通に仕事をしていて、「今日は、ここまでかな。じゃあ、これは明日やろう。お疲れさま」と挨拶をして、普段と変わらない様子で帰宅した後、二度と出社しなかったのだ。

4人でこなしていた仕事を、次の人が入るまでは、一人でこなさなければならない。しかし、会社のお眼鏡にかなうITに詳しい派遣社員も、そんなに簡単には見つからなかったようで、なかなか人が回ってこない。また、入ってきたとしても、あまりの作業量にすぐに辞めてしまう。

“とんでもない仕事量”にこの時期は、さすがの僕も疲れ果てていた。ただ、ひたすら機械のように仕事をこなすというモードに入っていった。

派遣のヘルプデスクからたった10年で役員へ。<br />超高速スピード出世の秘密(4)
二宮英樹(にのみや・ひでき)
1979年徳島県生まれ。高校卒業後、ミュージシャンを目指して米国に渡るが挫折。2003年に帰国。大塚製薬株式会社に派遣のヘルプデスクとして入社。上海万博出展などに携わり、またグローバルIT組織構築をグローバルリーダーとして推進。大塚倉庫株式会社 執行役員IT担当を経て独立。N&A株式会社代表取締役、株式会社オリエント代表取締役。情報セキュリティ戦略構築、組織づくり支援、教育等、各種コンサルティングを提供。特に欧米の高度セキュリティ・ソフトウェア開発の人材ネットワークを構築、国内外の企業に情報セキュリティ関連サービスを提供。著書に『派遣で入った僕が、34歳で巨大グループ企業の役員になった小さな成功法則』(ダイヤモンド社)。

参考記事
派遣のヘルプデスクからたった10年で役員へ。
超高速スピード出世の秘密(3)