朝日新聞のマニラ支局長などを経て2009年に単身カンボジアに移住、現地のフリーペーパー編集長を務めた木村文記者が、カンボジアのシアヌーク前国王崩御についてレポートします。
カンボジア人にとってのシアヌーク前国王の存在感
カンボジアのシアヌーク前国王が10月15日、滞在先の北京で亡くなった。89歳だった。
10月17日、シアヌーク前国王のご遺体は、北京まで迎えに行った息子のシハモニ国王、フン・セン首相らとともにカンボジアに「帰国」した。空港からプノンペン中心部の王宮まで、道路は数時間に渡り封鎖され、沿道に数十万人の国民が並び、前国王の棺を乗せた車列を迎えた。
私も王宮前で、前国王の棺を待った。雨季だというのに雨粒ひとつ降らない不思議な炎天下だった。たくさんの人が正午過ぎから手に線香と蓮の花を持って王宮前に集まり、その時を待っていた。みんな、白と黒の葬儀の正装。汗びっしょりで、熱いアスファルトの上に横座りした足はしびれきっていたに違いない。
王宮前に棺が到着したのは日も暮れ始めた午後5時半ごろ。待ち始めてから3時間近くが過ぎていた。黄金の巨大な乗り物に安置された前国王の棺が目の前を通りすぎる。その瞬間、だれの合図もないのに、すべてのざわめきが消えて空気が張りつめ、念仏とすすり泣きの声だけが響いた。老いも若きも、棺が通りすぎる一瞬へ、すさまじい集中力を見せた。カンボジア人にとっての「前国王」の存在感を、その空気が雄弁に語っていた。

「カンボジアの一つの時代が終わった」
シアヌーク前国王は、2004年にシハモニ国王に王位を譲ってからは、療養先であった北京とカンボジアを往復しながら静かに過ごされた。表に出ることもほとんどなく、したがって前国王の崩御が現在の政治や経済に直接の影響を与えることはあまりないとみられている。国民生活への影響が最も少ないお盆休みの最終日に「帰国」されたことも、意図されたことではないにしろ、前国王らしい見事な演出だった。
「前国王の崩御で、カンボジアの一つの時代が終わった」。崩御を伝える新聞各紙は、どこも記事にそんな見出しをつけた。
確かに、前国王の人生は、この国の現代史そのものだった。18歳で即位、フランスからの独立を勝ちとり、「東洋のパリ」とも呼ばれた美しい小国を築く。だが1970年のクーデターで中国へ亡命。ポル・ポト派など左派勢力と共闘するも、75年からのポル・ポト政権下ではプノンペンに幽閉された。同派政権崩壊後に親ベトナム政権が樹立すると、今度は反ベトナム勢力の中心となったが、80年代半ば以降は内戦収拾に尽力。常に激動の政治の中心にいたといっていい。


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