見ている人に
解釈の余地を残す

秋山 続いて、『花鏡』にある「動十分心、動七分身」についてお話を伺いたいと思います。これは、心を十分に働かせなさい、体の動きは、心の動きに対して七分目にとどめなさい。それが一番リラックスしたように見えるということを指していますが、いかがですか。

武田宗典「能は、お客様に想像の余地を持っていただくことで深みが出ます」(武田さん)  Photo by T.U.

武田 能面を使って、日常の喜怒哀楽の感情表現とかけ離れた、アクセントのついた演技をするので、自分自身がこうやりたいという思いが出すぎると、型が崩れてしまいます。あるとき、お客様から「何をしたいのかとてもよくわかりました」と言われてしまって、そのときは、自分の中でもこうしたいという気持ちが出すぎたという自覚があり、失敗だったと感じました。

 能は、お客様に想像の余地を持っていただく方が解釈に深みが出ます。したいことがあっても、一歩引いたところで、演技を作っていくと、お客様の中でこう見えたとか、いや、ああ見えたというせめぎあいが起こって、面白さや深さにつながっていきますね。

秋山 我見が出すぎるといけないということですね。能の演技で、じっと動かないことがありますが、それは頭が高速で回転しているのか、考えずに感じることに集中していらっしゃるのかどちらですか。

武田 舞台の中央で座ってじっとしているときは、地謡という、コーラスが役の心情を歌うのに合わせて、心の中で、一緒に歌っています。それをするのとただ座っているのとでは、気が抜けて見えるか、全体が凝縮されて見えるか、ただ座っているだけに見えてもお客様には違いがすぐわかります。

高田 武田さんのおっしゃるとおり、見ていただくためには、見ている人がいろんな解釈をする余地があることが非常に大事ですね。見ながら、間があってよかったとか、考えさせるしかけがあることが必要ですね。

 動十分心、動七分身は、修行を積んで、たくさんのインプットをしていなければ実践できないと思います。ですから、インプットすればするだけアウトプットの効果が出せるとよくスタッフに言っています。10を表現するためには、その倍、3倍、20、30のインプットをしておかねばならない。チラシのデザインでも、5分のテレビ番組でも、インプットが足りないときほど、手持ちのものを全部入れようとして、逆に伝わらなくなる。こうした洞察もまた世阿弥のすごさですね。

(構成/ライター 奥田由意)