戦争の歴史のなかでは、こうした圧倒的戦力差が生まれることはしばしばあります。映画『300(スリーハンドレッド)』では押し寄せるペルシャ軍(映画の中では100万人とうたわれていました。)にたった300人で立ち向かったスパルタ軍の激闘が描かれますが、対馬沖を埋め尽くす900隻とも言われる船団を見た武士たちは戦慄したことでしょう。『ゴーストオブツシマ』では襲来した元軍にひとり立ち向かう主人公の戦いが描かれています。
海路の要衝ゆえの苦闘
福岡から120キロと少し、韓国からは約50キロと、むしろ韓国との距離が近い対馬は、日本と大陸との文化のかけ橋であるとともに戦いの最前線でもありました。
豊臣秀吉の朝鮮出兵においては対馬を治めていた宗家が(大陸との交易の窓口を担っていたのに)戦いの先導役を命じられます(そしてその後、徳川幕府に代わってからは和平交渉も任される…会社とかで一番やりたくないマッチポンプ状態…)。
日露戦争においては対馬沖でロシアのバルチック艦隊と東郷平八郎率いる連合艦隊が激突。日本海軍は大勝します。当時両軍が激突した際の砲撃音は島に住む人々にも聞こえたといいます。
この戦いは日本語では日本海海戦で通っていますが、海外では「The Battle of Tsushima(対馬の戦い)」という名の方が一般的であり、海外の方が『ゴーストオブツシマ』以外で対馬を知る入口にもなっています。このように、古くは白村江の戦い(金田城跡は今後レポートします)、鎌倉時代の元寇、安土桃山時代の朝鮮出兵、明治の日露戦争と対馬は時代の要所で歴史の舞台になってきました。