あっという間にゴールデンウィークが終わった。そろそろ4月はじめの「やる気」がジワジワと低下してくる頃合いだろう。いわゆる「5月病」シーズンの到来だ。とりわけ今年、社会人になったばかりの新入社員は、不慣れな環境にさまざまな悩みや不安を抱えはじめているのではないだろうか?
17万部のベストセラー『独学大全──絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』の著者であり、一組織人として働く読書猿さんは、「ビジネスシーンで生き抜く知恵は、すべて社会科学の中に詰まっている」と言う。なぜなら、社会そのものが「知」の集合だからだ。知識の多くは、それぞれの集団に埋め込まれたまま、明文化されていない。それらを学ぶための手法が、社会科学をはじめとする学問というわけだ。
そこで、会社組織にありがちなお悩みを読書猿さんにぶつけてみた。第1回は「理不尽な上司」について。(取材・構成/藤田美菜子)

「なぜ上司はいつも思い付きで指示を出すのか」意外だけど納得の理由Photo: Adobe Stock

言うことがころころ変わるのは「上司の仕事」

――組織で働く限り、何歳になっても避けられないのが上司の存在だと思います。一番困るのが、さっきAと指示したばかりなのに、すぐに「やっぱりBだ」などと言い出して、一貫性がない人ではないかと……。思い付きで発言する、指示を出す。この理不尽に抗う術はないものでしょうか。

読書猿 上司の言うことがころころ変わるのは、「上司が上司としての仕事をしている」証拠と見ることもできます。

 上司の言動に一貫性がないのは、上司が置かれている状況そのものに一貫性がないからです。会社を取り巻く外部環境も、上層部から来る指示もころころ変わります。上司はそれに臨機応変に対応しているにすぎません。だからといって、その状況を1から100まで部下に説明する余裕も時間もないことが多い。上司はむしろ、肝心な情報だけフィルターにかけて部下に伝えているわけです。

 ちょっと迂回することになるんですが、新入社員の方にぜひ読んでいただきたい本に、社会学者の筒井淳也さんが書かれた『社会を知るためには』(ちくまプリマー新書)という一冊があります。

――上司に対応するスキルやマナーを教える本とは違いますが、なぜ新社会人にこの本をおすすめされるのですか?

読書猿 この本がすばらしいのは、「なぜ社会が誰にとっても予測不能なのか」という理由を解き明かしてくれている点です。

――上司を知るには、「社会」を知らないといけなかったんですね……!

読書猿 はい。社会が予測不能な理由はいくつもありますが、その核心は「社会とは誰かひとりが運営しているものではない」ということでしょう。

 圧倒的な力を持った独裁者がいて、あらゆる指示がその人物から出されているのであれば、独裁者の思考を読むことで社会の動きを予測することもできます。しかし、社会はそれほどシンプルにはできていません。いろいろなプレーヤーが、バラバラなことを考えながら、少しずつ行動を起こしている、その組み合わせで社会は成り立っています。

 中にいる人間は、誰もが自分の見える範囲で、精一杯予測も立てながら頑張っているのですが、それらがすべて合わさると、誰も思ってもいないような方向に動いてしまう。こんな風に社会を捉えることができると、「他人が間違っても寛容になれる」と思います。

 相手が正解を持っていると思っていると、その人に任せてアテが外れたときに「あいつはウソつきだ」ということになりがちです。つまり、100%の信頼は、100%の不信に切り替わるリスクをはらんでいる。結局、「みんながちょっとずつしかわからない」ということが、控え目ではあるけども正しい認識なのです。

「上司」に話を戻すと、上司は神様ではありません。したがって、上司が正解を知っていると思うのは間違いです。上司も一プレーヤーでしかなく、なんなら本人も、もっと無茶なことを上から言われていたりするわけです。

――確かに。そう考えると、上司の理不尽にも腹が立たなくなってきました(笑)。

読書猿 「上司は思いつきでモノを言う」と怒る代わりに、「なぜ上司はそうなってしまうのか」を理解できれば、上司への協力の仕方も見えてきます。仮にすごく嫌な上司で、協力などしたくないという場合でも(笑)、相手の思いつきのパターンが読めるようになれば、いたずらに上司に振り回されることも減るでしょう。

「やっぱ違った」と言えない上司は逆にヤバい

――「基本的な構え」は分かったのですが、具体的に目の前の上司の言うことに一貫性がない場合、どんな行動を取るべきなのでしょうか。

読書猿 そういうときに「前と指示が変わりましたが、なぜなんですか?」などと、直球で相手に理由を尋ねるのは得策とは言えません。堅いものに堅いものをぶつけるとボンと跳ね返ってくるように、硬化した態度で接すれば、相手の態度も当然、硬化します。

 逆に、多少なりとも事情を汲みながら考えて発言をしている部下に対しては、上司も「こいつ、ちょっとはわかってるな」と感じるようになります。そのうち「もう少し情報を公開してもいいかな」と思うようにもなるでしょう。

 人間のコミュニケーションとは双方向的なものです。こちら側の出力を変えれば、相手の出力も高い確率で変わります。

 もっと言えば、コミュニケーションとは「反応」の応酬です。判断をさしはさむことなく、無意識にポンポンとボールを打ち返すラリーのようなものです。部下に「ここはどうしたらいいですか?」と聞かれるたびに、「明日まで時間をくれ」と言ってくるような上司では、かえって困るでしょう。

 その意味では、上司の指示とは「判断」というより、単なる「反応」であることがほとんどです。じっくり考えて答えを出しているわけではなく、これまでに蓄積してきたパターンの中から当てはまりそうなものを持ってきているだけなので、間違えることも多々あります。そんなときは、上司も「あれではマズい」とあとで気づくので、「やっぱりこうしてくれ」と言ってくるわけです。

『独学大全』では全体のフレームとして序文で二重過程説を紹介しました。簡単に言うと直感にあたるシステム1と熟考にあたるシステム2という二重のプロセスで我々の思考はできているんですが、優先的に働くのは素早いシステム1の方なんです。ここでいう「反応」ですね。普段はシステム1で間に合うんですが、遅いシステム2でよく考えると間違いだと分かる訳です。

 だから後になって「やっぱり間違ってた」と言わない上司は、逆にヤバい。システム2を働かせて自分が間違えたことを感知できないわけで、間違えたまま突き進んでしまうからです。そして、ひどい目に遭ってから部下のせいにしたりする。それよりは、ころころ指示が変わるほうがよほど健全です。

上司の無茶ぶりパターンは「有限」である

読書猿 部下として、「一度言ったことは、簡単に変えないでほしい」と思う気持ちもわかります。いちいち言うことを変えられたら、次にどんな命令が飛んでくるかわかったものではありませんし、せっかく準備したものが無駄になる可能性もあります。

 おそらく「言うことがころころ変わる上司」に対する部下の苛立ちとは、このような「無限の可能性」に対応しなくてはならないことへの不安なのではないでしょうか。ただ、「無限の可能性」があり得るだろうという部下の不安は、杞憂と言えます。というのも、上司の反応のパターンに、たいして種類などないからです。

――えっ、そうなんですか。

読書猿 人間が能力的に実行可能な範囲を考えると、行動の組み合わせとしてのコミュニケーションのパターンはほとんど無限にあるはずです。そうなれば、相手がどう出てくるか予想を立てることも不可能になるでしょう。

 しかし実際には、私たちはお互いに相手の行動を予想し、また期待して、自分の行動を決めているし、多くの場合、期待通りに物事が進みます。そして稀に期待から外れた反応があれば驚いてしまう。普段は意識することなく、期待通りにコミュニケーションが進むのは、例えば質問をされれば答えを返すといったような、無自覚に従っている一種の決まりごとがあるからです。質問をされた途端に、脈絡なく踊りだすような人がいれば、我々はびっくりしてしまう。そこで初めて我々のコミュニケーションについて、無自覚な期待とその元になる決まり事の存在に気づくわけです。

 ですから、新入社員の皆さんには「安心していいよ」と言いたいですね。コミュニケーションのラリーを続けるには、お互いのショットがコートの中に収まっていなくてはなりません。その中で取りうる選択肢など、たかが知れています。

 そんなふうに、事態を少し引いて見ることができれば、多少なりとも心に余裕ができて、上司の無茶ぶりにも向き合えるようになるのではないでしょうか。