半年後の6月、サムは自分のもとに送られてくるたくさんのデモ曲の中から、「Without You」という曲を耳にしました。曲の冒頭の“Always at twilight I wish on a star, I ask the lord to keep you wherever you are...(たそがれどきになると、いつも、どこにいても、あなたを守ってくれるよう神にお願いをするのです)”という歌詞に感銘を受けたサムは、この曲をエルヴィスに歌わせることを思いつきます。

 早速、エルヴィスをスタジオに呼びレコーディングを試みましたが、デモ・バージョンを超えるテイクは録音できませんでした。しかしながら今回のレコーディング・セッションでサムは、「黒人のソウル・フィーリングとグルーブ感を持った白人シンガー」の片鱗をエルヴィスに見出すことになります。そしてサムは、エルヴィスをサン・レコードから売り出すことを決心するのでした。

 1954年7月5日の夕方、エルヴィスのデビューに向けてサン・レコードのスタジオでレコーディング・セッションが行われました。ビング・クロスビーのヒット曲など数曲を録音しますが、考えていたような出来栄えにはなりませんでした。そこでサムは、エルヴィスに「ブルースを歌ってみてはどうか?」と進言します。そして2人の間にブルース歌手のアーサー・クルーダップの名が上がり、エルヴィスは彼が書いた古いブルースの名曲「That’s All Right」を歌ってみることとなりました。

 エルヴィスはアコースティック・ギターを抱えてマイクの前に立つと、オリジナルの倍のテンポで歌い始め、それにスコッティ・ムーアのギターとビル・ブラックのベースがそれに続きます。すると全員が、同じ熱に巻き込まれたかのようなマジックが起きたのです。試行錯誤を繰り返しながらも、これまで掴むことのできなかった素晴らしいグルーブとサウンドを、ここでいとも簡単に手にすることができたのです。エルヴィスたちが家に帰った後もサムはスタジオに残り、自分が探し続けていた新しい才能に出会った喜びを味わっていたそうです。

 エルヴィス・プレスリーのデビュー曲「That’s All Right」は、録音から2週間後の1954年7月19日にリリースされました。メンフィス周辺では予想以上の大ヒットなり、その波はアメリカ南部全体に広がっていきます。続いて5枚のシングルがリリースされましたが、サン・レコードは借金の清算や著作権法違反金の支払いで資金難に陥り、サムは翌1955年にエルヴィスとの契約を大手RCAレコードに売却。その額は、当時の全米での成功前のシンガーの契約金としては破格の、3万5000ドルに達しました。

RCA移籍後のエルヴィス

 この売却劇は、サムにもエルヴィスにも良い方向へと作用しました。

 エルヴィスはメジャー・レーベルの資金力や宣伝力に助けられ、怒とうの勢いでヒット曲を連発して一気にスターダムへと駆け上り、世界的なスーパースターの座を手に入れます。片やサムのほうは手にした3万5000ドルの一部を使って、ジョニー・キャッシュ、カール・パーキンス、ジェリー・リー・ルイス、ロイ・オービソンなどのアーティストを次々に売り出すことになります。

 中でもカール・パーキンスの「ブルー・スエード・シューズ」は、初のミリオンセラーを記録。こうしてエルヴィスが去った後のサン・レコードながら、全盛期を迎えることになります。さらにサムはRCAからの契約金を受け取った直後に、当時全国的なフランチャイズに拡大しようとしていたモーテル・チェーン「ホリディ・イン」に投資し、長年をかけて資産を数倍に膨らませることに成功します。