ロビン・ダンバーはオックスフォード大学の進化心理学教授で、「知り合いの数は150人」というダンバー数で知られている。150人というのは年賀状の枚数、いまならラインやフェイスブックの友だちの数で、「人間が安定的な社会関係を維持できる認知的な上限」とされる。
『人類進化の謎を解き明かす』(インターシフト)は、そのダンバーが最新の人類学の成果を取り入れて自身の理論を発展させたものだ。そこでは「社会脳」と「時間収支」から人類の進化が語られる。原題は“Human Evolution(ヒトの進化)”。

人類は、アフリカを起源として原始人→原人→旧人→新人と進化した
約2000万年前、中新世の初期にアフリカで類人猿が誕生し、ユーラシア大陸に広がった。約1600万年前にアジアでオランウータンにつながる系統が分岐した。
約1000万年前頃、世界全体がどんどん乾燥化しはじめ、多彩な類人猿が住んでいた広大な熱帯雨林が縮小していった。これによって数十種の類人猿が姿を消し、ユーラシアでは唯一、オランウータンだけが生き残った。
約800万年前、アフリカの類人猿の一系統がこの乾燥化を生き延び、現生ゴリラにつながる系統がそこから分岐した。次いで約600万年前、現生人類につながる系統が分岐した。さらに約400万年前、チンパンジー(ナミチンパンジー)とボノボ(ピグミーチンパンジー)が分岐した。
人類とチンパンジーの共通祖先には適切な名称がなく、LCA/Lowest Common Ancestor(直近の共通祖先)と呼ばれている。ヒト属、チンパンジー属、ゴリラ属を含む大型類人猿は「ホミニド」、現生人類につながる系統種(ヒト属/Homo)は「ホミニン」と区別される。
ホミニン(ヒト属)の特徴は二足歩行だ。現在、最古とされる化石ホミニンは西アフリカのチャド(サハラ砂漠の南側に広がるジュラブ砂漠)で発見されたサヘラントロプス・チャデンシスで700万年前にさかのぼる。当時は、森林地帯と疎開林がサハラ砂漠北部まで広がっていた。
サヘラントロプスは、大後頭孔(脊髄が通る頭蓋の穴)が二足歩行の姿勢を示しているとされるが、残された骨が少なく、古人類学者のなかにはただの類人猿だと見なす者もいる。東アフリカのケニアにあるトゥゲン丘陵で発見されたオロリン・トゥゲネンシスの化石は約600万年前のもので、大腿骨と股関節の角度から二足歩行していたことはほぼ確実とされる。
約500万年前、アフリカ東部と南部にアウストラロピテクスが広く分布した。このよく知られているホミニンは、ダンバーによると、脳の大きさにおいて現生チンパンジーとたいして変わらず、「二足歩行する類人猿」というだけの存在にとどまったようだ。後期には石器をつくったもののかなり原始的で、西アフリカのチンパンジーが使うハンマーストーン(叩き石)のようなものだった。
180万年~150万年前、アフリカにホモ・エルガステルが誕生し、ユーラシア大陸に渡ってホモ・エレクトスとなった。北京原人やジャワ原人はホモ・エレクトスの系統で、アユール握斧(あくふ)など加工された道具を使っていた。1万2000年前までインドネシアの島々に存続していたホビット(ホモ・フロレシエンシス)もホモ・エレクトスの系統で、島で孤立した他の動物と同じように小型化したと思われる。
約50万年前、アフリカでホモ・ハイデルベルゲンシスが誕生し、やはりユーラシア大陸に進出、約25万年前にヨーロッパ大陸でネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)となった。アジアでは、シベリア南部のアルタイ山脈にある洞窟で数個の骨が見つかったデニソワ人が、ホモ・ハイデルベルゲンシスの系統とされる。
約20万年前、アフリカ南部でホモ・ハイデルベルゲンシスから、ほっそりした(華奢な)体つきのホミニンが分岐した。これが解剖学的現生人類(AMH/anatomically modern human)すなわちホモ・サピエンスだ。
こうした人類の進化を大雑把にまとめると、原始人(アウストラロピテクス)→原人(ホモ・エルガステル/ホモ・エレクトス)→旧人(ホモ・ハイデルベルゲンシス/ネアンデルタール人)→新人(ホモ・サピエンス)という流れになり、いずれもアフリカを起源としている。アフリカにそれだけ多様なホミニンが暮らしていたということなのだろう。
約10万年前、北東アフリカに住むホモ・サピエンスの一系統が急速に人口を増やしはじめた。7万年前には紅海を渡ってアフリカからアジアの南岸地域に移り住み、遅くとも4万年前までにはオーストラリアに達した。
同じく約4万年前、ホモ・サピエンスはロシアのステップ地帯から東ヨーロッパに侵入し、3万2000年前には西ヨーロッパに達した。約2万8000年前にネアンデルタール人がイベリア半島で消滅するまで、二種の人類は併存していた。
約5万年前から、高度な武器や道具、装身具、手工芸品だけでなく、テント、灯り、船などの人工物がつくられるようになった。葬送などの宗教儀礼や芸術・文化の存在も確認されている。
そして約1万2000~8000年前、近東で起きた新石器革命によって、ホモ・サピエンスは定住と農耕、都市国家の時代を迎えることになる。
脳の大きさと社会集団の規模は相関する
原始人から原人、旧人、新人へと進化するにつれて、ホミニンの脳容量は大きくなっていった。ではなぜ、脳は大きくなる必要があったのか。
類人猿の祖先にあたる最初期の霊長類は、ガラゴやコビトキツネザルなど小型で夜行性の原猿によく似ていて、個別に散らばった半単独性の社会を形成していたようだ。メス(と子ども)は他のメスとなるべく重ならない小規模な縄張りで食べ物を探し、オスは数頭のメスと重なるより大規模な縄張りで暮らし、これらのメスとの交尾権を独占する一夫多妻だった。
霊長類は、散在する各個体が縄張りをもち、個別に食べ物を探すという状態から、多雌多雄(乱婚)のより大きな社会体制に移行する。別々に食べ物をあさっていた動物たちが集団を形成するようになったのは、ライオンやヒョウのようなネコ科の大型肉食獣に捕食される危険が大きくなったからのようだ。
イルカを含め社会性のある哺乳類は、単独や少数で行動する哺乳類より大きな脳をもつ。これは、相手が誰で、自分の味方なのか敵なのかを判断できないと、社会のなかで生きていけないからだ。これが心理学者のアンドリュー・ホワイトゥンとリチャード・バーンによって提唱された「社会脳仮説」で、脳の大きさと社会集団の規模が相関することを定量的に示した。
大きな集団で暮らすようになれば肉食獣から身を守ることができるが、そのためには相応のコストを払わなくてはならない。共同体のコストには以下の3つがある。
(1) 直接的コスト:共同体内の葛藤から生じる、食べ物や安全な場所、生殖をめぐる個体間の争い
(2) 間接的コスト:食料の欠乏。全員に栄養を行き渡らせるにはより広い範囲で採食を行なわなければならないが、移動はエネルギーを消耗するので、さらに食べ物を摂取しなければならならず、食べ物探しの時間がいっそう増えるという悪循環に陥る
(3) ただ乗り:霊長類の共同体には捕食者に対抗する「暗黙の社会契約」があるが、それはただ乗りする者によってつねに破られる
このなかでダンバーが注目するのは間接的コストで、消費エネルギーの観点から見て、脳がきわめてコストのかかる器官だからだ。ヒトの成人の脳は毎日の総摂取エネルギーの約20%を必要にするのに対し、体重比にして2%を占めるにすぎない。脳はその質量を維持するのに必要な10倍ものエネルギーを消費している。だとしたら初期のホミニンも、大きくなった脳をどうやって維持するかという問題に直面したはずだ。
ここでダンバーは、「1日は24時間しかない」という当たり前の話をもちだす。1日8時間は眠らなければならないし、外で活動できる昼の時間はさらに限られている。より大きなエネルギーが必要になれば、採食に必要な時間がより長くなるが、時間は有限なので、そこには必然的に制約が発生する。
社会的な動物にとって重要なのは、仲間との交流(社会活動)だ。友だちや派閥をつくることで、集団内のいじめや攻撃から身を守ることができる。霊長類では、この「社交」は毛づくろい(グルーミング)によって行なわれる。こうして初期のホミニンは、食べ物か社交かのトレードオフを突きつけられた。
・採食活動に時間をかけすぎると毛づくろいができず、共同体から排斥される
・毛づくろいに時間をかけすぎると採食活動ができず、大きな脳を維持できない
大きな脳をもつようになったホミニンにとって、1日の時間をどのように割り当てるかが死活的に重要だった。これが「時間収支モデル」で、脳(頭蓋骨)の大きさから集団の規模を推定し、時間をどのようにやりくりしていたかで、化石には表われない当時の生活を再現しようとする。
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