執行役員たちの苦悩

日置 90年代後半の金融ビッグバンにより、戦後から高度成長を支えたデット文化からエクイティ文化へと大きく転換し始めました。それと呼応するように、アングロサクソン的な経営への注目が高まり、一時は日本的経営の変革がムーブメントになりました。いまもそのような傾向にあるように見えなくもないですが、「流行り言葉」の裏側にある本質的なところは、昔から大事と言われていたことが多いので、 振り回されない程度になら追いかけても構わないと思っています。 ただ、文字通り「掛け声」だけという状況が続いています。なぜ、相変わらずマネジメントが上手くできないのでしょうか。

松田 トップになると全責任を負う。だから、焦るんですね。トップになるまで事業で苦労をした人は多いのですが、マネジメントについて悩んだことがない人が、「さあ、マネジメントするぞ」となっても、経験がないからゴールが見えていないし、ゴールが見えないからやるべきことの手順を理解できない。だから、取り組みが中途半端になる。そのうち状況に慣れてしまい「自分がいる間は大丈夫」と思い込む。こうなると行動変革は起こらない。しかも、任期が短いので、たいていは尻切れトンボでバトンタッチ。それを4~5回繰り返して時間を無駄に過ごしてきました。まさしく、ゆでガエル状態です。

日置 もったいないですよね。結果、本気じゃないように見えてしまう。

松田 トップ本人は真摯に取り組んでいるんですよ。でも、客観的に見れば、危機感とスピードが足りません。さらに言うと、「正しい変革」を探して、「正しく行う」のがスマートだと勘違いしています。だから、「まずは勉強しよう」となって、企業内大学や座学の研修などが流行ります。

 しかし、学習することと、それが現場で役に立つのは別次元の話です。進化する企業はそこに気づいて、将来のマネジメント人材を選抜して修羅場で鍛えています。たとえば、海外法人のマネジメントポジションを経験させるというジョブローテーションを戦略的に行っています。

日置 若くして健全な修羅場を経験することはとても意味があります。マネジメント力を鍛えるために、できることがまだまだたくさんあるはずです。ほかに気になっていることはありますか?

松田 執行役員クラスの一部には、不安を抱えている方々がいます。実は、マネジメント・トレーニングを受けて執行役員になったという方は少ないんですね。役員に昇格してから受ける。

日置 それでは遅いですね。

松田 猛烈な働きぶりで昇格した方々が、執行役員のポジションを得ると保守的になります。なぜなら、執行役員は1年単位の委任契約だからです。新卒採用後、20~30年の間終身雇用で守られて、ひたすらオペレーショナル・エクセレンスを追求してきたわけですからね。自分のポジションがなくなるリスクに初めて向き合うことになる。これは不安です。

 これは現役の執行役員から聞いたのですが、「執行役員になったらおとなしくしておけ」と先輩の執行役員から言われるそうです。マネジメントの経験が乏しく、その意味も理解していない状態で、絶対服従が必要条件になるわけですから、意思決定に棹さすという環境なのでしょう。

日置 そうだとすると、経営トップの意に沿う“一色”で塗り固められて、多様な視点を取り入れた健全な議論がないなかで意思決定がなされてしまいます。

松田 多様性がないことは、執行役員のキャリアや属性を見れば、一目瞭然です。40~50代の多様性というのは「絵に描いた餅」です。ある業界を調査したところ、ボードメンバーに女性、外国人がいると宣伝する企業でも、多くは社外役員であって、社内の執行役員はほとんど全員日本人の生え抜き男性でした。コーポレートガバナンス・コードの改訂案に中核人材の多様性が盛り込まれるのは、こういう均質性を問題にしているのです。