橘玲の日々刻々 2021年6月17日

ひとの直感はどこまで信用できるのか?
「よく知らない人」への過剰な反応が悲劇を生み出す理由
【橘玲の日々刻々】

 マルコム・グラッドウェルはいわずと知れた世界的なベストセラー作家で、『第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』(光文社)では直感の驚くべきちからをテーマにした。最新作『トーキング・トゥ・ストレンジャーズ 「よく知らない人」について私たちが知っておくべきこと』(光文社)は、この作品と対照をなす。

イラスト :川竜 / PIXTA(ピクスタ)

『第1感』は、「どこかおかしいギリシア彫刻」の話から始まる。カリフォルニアのゲッティ美術館に、紀元前6世紀の大理石像を手に入れたという美術商から売り込みがあった。ほぼ完璧なクロース像(立像)で、文字どおりの掘り出し物だとして言い値は1000万ドルだった。

 美術館はカリフォルニア大学の地質学者に依頼し、高解像度の立体顕微鏡を使って2日がかりで彫像の表面を精査した。素材はドロマイト(白雲岩)と呼ばれる大理石で、ギリシア東部のタソス島にある古代の採石場から切り出されたものに間違いなく、表面は結晶化した炭酸カルシウムの薄膜で覆われており、この過程には数千年、すくなくとも何百年かかるとの結論が出た。それ以外にも弁護士や専門家を総動員し、1年以上かけて徹底的に調べ、そのクロース像が本物だと認定した。

 ところが、その像をお披露目する段になって事態は奇妙な展開を見せはじめる。イタリアの美術史家は、クロース像の指先を見た瞬間、「爪が変だ」と感じた。「理由はわからないが、彼にはそう思えた」のだという。

 世界でも指折りの古代ギリシア彫刻の専門家は、美術館の主任学芸員が「まだ私たちのものじゃありませんが、2週間もすれば私たちのものになります」というと、「お気の毒に」とこたえた。なぜそういったのか彼女にもわからなかったが、「何かがおかしいと直感的に感じた」のだ。ニューヨークのメトロポリタン美術館の元館長がそのクロース像を見た瞬間に浮かんだ言葉は、「新しい」だった。

 その後、弁護士が徹底的に調べたはずの所有者の手紙類が偽物だったとか、1980年代前半にローマの贋作工房でつくられたものによく似ているなどという不都合な事実が次々と明らかになった。表面を覆う炭酸カルシウムの薄膜は、ジャガイモを腐らせるカビの一種をつけて何カ月か「熟成」させるだけで同じように結晶化することもわかった。「ゲッティ美術館の鑑定チームは14か月かけて調べ上げたが、彼ら(専門家)の2秒にかなわなかった」のだ。

 無意識のパターン認識能力は驚くべきもので、本物だけを見つづけていると、その理由を意識(理屈)で説明できなくても、その作品がパターンに合っているのかいないのかを瞬時に判断できるようになる。真贋を見極めるこの能力は科学的鑑定をも上回るのだ。

 これが直感の正(プラス)の側面だとすると、『トーキング・トゥ・ストレンジャーズ』は直感の負(マイナス)の領域について論じている。それは、アメリカのもっとも困難な社会問題を象徴する痛ましい事件がきっかけだった。

人間は「デフォルトで信用する」傾向がある

 2015年7月、サンドラ・ブランドという若い黒人女性が、テキサス州ヒューストン郊外のプレーリー・ビュー大学を出たところで白人警官に車を止められた。車線変更のときに方向指示器を出さなかった違反だという。

 警官は最初、礼儀正しく質問し、ブランドはそれに答えていたが、会話の雰囲気は徐々に不穏なものになっていく。ブランドがタバコに火をつけると、警官はそれを消すようにいい、彼女が拒否すると言い合いになって、最終的にはブランドは車から降ろされ逮捕された。3日後、彼女は独房で自殺した……。

 この事件は、「BLM/ブラック・ライヴズ・マター(黒人の生命も大切だ)」の運動につながる、白人警官による黒人への差別的な扱いそのものだが、グラッドウェル(自身も母方にアフリカ系の祖先がいる)は、これを「人種問題」と決めつけ、「よくあること」として忘れさられていくのを拒否する。そして、「Strangers(よく知らない人)」と話すとき、わたしたちはなぜ、おうおうにして過剰な反応を示してしまうのかを理解しようとする。

 グラッドウェルは、キューバがCIAに潜入させた二重スパイに諜報の専門家があっさりだまされたり、アドルフ・ヒトラーの本心を、ネビル・チェンバレン(当時のイギリス首相)やイギリスの外交官たちがまったく身抜けなかったり、金融業界の重鎮で、ヘッジファンドで大規模な詐欺をはたらいていたバーナード・メイドフを投資家たちが信用しきっていたなどの例を次々とあげ、ギリシア彫刻の贋作を「2秒」で見破った直感が、明らかな嘘に対してまったくの無力であることを示す。

 2008年から2013年にかけて、ニューヨーク市の裁判官たちは55万4689人の被告の罪状認否を行ない、そのうち40万人強を釈放した。ハーバード大学の3人のコンピュータ科学者はこの記録を使い、人工知能(AI)によって釈放すべき40万人のリストをつくった。

 その結果はというと、コンピュータが弾き出したリストの40万人は、ニューヨーク市の裁判官によって釈放された40万人よりも、裁判を待つあいだの犯罪率が25%も少なかった。「この知恵比べでは、機械が人間に圧勝した」――言い換えれば、「裁判官による保釈の決定はどこまでもでたらめ」だったのだ。

 心理学者のエミリー・プロニンは、これを「非対称な洞察の錯覚」で説明する。「相手が自分を知るよりも、自分のほうが相手のことをよりくわしく知っている」と思い込むバイアスで、「自分にはより優れた洞察力があり、相手の本質を見抜くことができるが、相手にはそのような洞察力はない」と誰もが(無意識に)確信している。その結果、「わたしは誤解されている」「不当に判断されている」と他者が話すとき、わたしたちはなかなか忍耐強く対応することができない。――誰もが思い当たることがあるのではないだろうか。

 心理学者のティム・レバインは、同じ現象を「トゥルース・デフォルト理論(TDT)」で説明する。

 レバインが22人の嘘つきと22人の正直者の映像をさまざまな職業の被験者に見せたところ、警察官であれ、裁判官であれ、セラピストであれ、海外でスパイ活動をするCIA職員であれ、正答率は素人と同じ約54%だった。要するに、コイン投げとほとんど変わらないのだ。

 だがレバインと共同研究者の大学院生は、真実を語る者を特定できる割合は50%(偶然)よりはるかに高いことに気がついた。それにもかかわらず全体の正答率が下がるのは、嘘をつく者を特定できる割合が50%(偶然)よりはるかに低いからだ。

 ここからレバインは、人間には「デフォルトで信用する」傾向があると考えた。わたしたちは基本的に、眼の前の相手が正直であるという前提のもとで行動しているのだ。

 ひとはまず信じることから始め、説明がつかなくなるほど疑いや不安が高まると、やっと信じることをやめる。デフォルトがトゥルース(正直)になるのは内集団に対してで、外集団に対しては「まず疑う(不正直)」がデフォルトになるのではないかという疑問はあるが、これも体験から納得するひとが多いだろう。


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