国立代々木競技場Photo:PIXTA

2021年5月、東京都の国立代々木競技場が国の重要文化財に指定される見込みとなった。意匠は丹下健三(1913~2005年)。戦後日本の建築界をリードし、世界各国の都市計画も手掛けた「世界の丹下」である。1964年の東京オリンピック当時、この代々木競技場は人々を驚愕(きょうがく)させた。優美で壮大な姿が、「日本の明るい前途」を象徴するように見えたのだ。(ダイヤモンド社論説委員 坪井賢一)

「日本の明るい前途」を象徴

 近現代の建築が国の重要文化財に指定されるようになってきた。2021年5月、東京都渋谷区にある国立代々木競技場が重要文化財に指定される見込みとなった。重要文化財としては最も新しい完成年(1964年)の建築物だ。

 同競技場は第一体育館と第二体育館で構成された大規模なもので、1964年の東京オリンピックの水泳とバスケットボールの会場となった施設である。意匠は丹下健三(1913~2005年)、構造設計は坪井善勝(1907~90年)で、戦後日本の建築界をリードした東京大学の教授2人が手掛けた。

 2021年の東京オリンピック・パラリンピックでも、国立代々木競技場の二つの体育館はハンドボールなどの会場として使用される予定だ。広々とした代々木の空間にそびえる壮大な建築は、今もなお優美な姿で人々の目を引いている。

 丹下健三は1964年当時50歳、すでに広島平和記念資料館と同公園(完成は55年)、香川県庁舎(同58年)などの設計で有名だった。国立代々木競技場の設計でもコンペティションではなく、指名されて携わっている。同年にやはり丹下の代表的な作品である東京カテドラル聖マリア大聖堂(東京都文京区)も完成しており、いずれも現在の東京の都市景観において重要な建築として知られている。構造設計も同じ坪井善勝である。

丹下健三氏Photo:JIJI

 東京カテドラルは指名コンペで、丹下が師匠の前川國男らを破って勝ち取ったものだ。こちらは「シェル構造」と呼ばれる8枚のシェルを組み立てたデザインで、上空から、あるいは内部から仰ぎ見ると十字架が現れる大掛かりな仕掛けだ。内部はコンクリートの打ちっぱなしで、巨大な空間を静寂が包み込む。

 一方、国立代々木競技場の二つの体育館は、大きさに違いがある。第一体育館は2.5万平方メートルで、第二体育館はその5分の1。両者ともに「吊り構造」で、主柱が第一では2本、第二で1本あり、屋根は主柱から吊り下げられている。

 単に円形の屋根を吊ったテントのようなデザインではなく、第一体育館は吊り橋のような姿で、第二体育館はトランペットのベルを伏せて、少しねじったような流麗な姿となっている。振動は油圧ダンパーで制御されており、災害には強い。

 施工は清水建設で、困難な工事を短期間で成し遂げている。柱が主柱以外にないので、観客席から見やすい。二つの体育館は流れるような曲線で結びつけられ、全体として「渦巻銀河(渦巻き状の銀河系外星雲)」を思わせる。遠くから見ても近くから見ても、モダニズム(近代主義)を象徴するコンクリートや鉄骨の素材がわかるのだが、デザイン自体は生物のような、そして物理現象のような自然の形で実に心地よい。

 1964年当時、この国立代々木競技場が眼前に現れたとき、人々は驚愕(きょうがく)したものだ。渋谷のごちゃごちゃした雑踏を抜けて坂を上がり、空が広がると現れる優美で壮大な姿が、「日本の明るい前途」を象徴するように見えたのだ。原宿から向かうと、明治神宮の森林を右手に、左側に吊り構造のモダンな体育館が現れる仕掛けである。