相手が「ラッセル・クロウ」の可能性
刺激することを控えるが吉

 まず、車を運転する以上、よほど悟りを開いている人でない限りイライラする瞬間が定期的に訪れることからは逃れ得ない、ということを心得ておきたい。 

 『アオラレ』から学べるのは、そのイライラの発散の仕方だ。イライラしてハンドルをたたく、車内で叫ぶなどを思わずしてしまうのは、あまりいい精神状態でないことがうかがえるが、発散の仕方としては及第点である。なぜならそれが自己完結していて、相手に怒りをぶつけていないからである。

 相手に怒りをぶつけたら一時的にはスッキリするかもしれないが、怒りをぶつけられ刺激された相手からのあおり運転などの反撃に遭う可能性もすこぶる高まる。かりそめのスッキリを得るより優先させるべきは自分の安全であり、命だ。相手の車にはどんな「ラッセル・クロウ」が乗っているかわからない。

穏やかな運転に肝要なのは“想像力”

 車は、密室を保ちながら公共空間を移動する移動手段である。そして車の密室性はドライバーのエゴを肥大化させる。すなわち路上はエゴを肥大化させたドライバーたちが行き交う修羅の世界である。

 運転における無礼は結構な割合で事故や身の危険を感じさせるものであり、受けた側は不機嫌にさせられる。エゴを肥大化させたドライバーが不機嫌になると、普段以上の怒りが湧出する。これが運転中に起こるイライラの正体である。

 運転歴20年、走行距離年間1万キロメートル、ゴールド免許保持の、運転のプロではないがそこそこ優良ドライバーである筆者が、安心安全な運転に肝要だと考えるのは、想像力である。

 筆者が新聞輸送の仕事をしていた頃、勤続40年で無事故・無違反という大ベテランの、温厚なおじさんが先輩にいた。配送コースを教えてもらうためにその人の助手席に何度か乗ったことがあるのだが、運転がものすごく荒くて怖い。ハンドルに張り付くような姿勢で、常時前の車との間をビタッと詰めては急な車線変更を駆使する。無事故・無違反は、ただの幸運に恵まれているだけなのではないかと思わされる運転であった。おそらく本人はあおっているつもりはなくても、後ろに付かれた車の多くが「あおり運転を受けている」と判断したであろう。

 当然ながらドライバーたるもの、他人に誤解を与えるような運転は改めるべきだ。ただ、このベテランさんのような人も存在するわけで、「車間距離の近い車がすべてあおる意図を持っているわけではない」という事実を知っておくだけで、運転する際に、心にいくばくかの余裕は生まれまいか? 想像力の効能とはこれである。

 『アオラレ』鑑賞後の車による帰路、筆者はさっそく急な割り込みをされたが、まったく腹が立たなかった。相手の人生にもいろいろあるのかもしれないし、怒りをぶつけたら殺意をもって追われるかもしれない、と自然に思えたからである。『アオラレ』はこのように教育的効果もあり、また映画としてもなかなか面白いので、おすすめしたい作品である。