1枚の写真が、
ウーファン・チンさんを導く

「子どもの頃、モーターショーに出展され、ボンネットとドアを開けた『ジャガーEタイプ』の写真を雑誌で見たのを覚えています」と語るのは、マツダ「RX-7 FD」のデザインを担当したカーデザイナーのウーファン・チン(Wu-Huang Chin)さんです。「ボンネット全体が前に反転するクルマなんて、それまで見たこともありませんでした。そうして私は、その1枚の写真によって『ジャガーEタイプ』に魅了されることになりました」

チンさんが魅せられたジャガー「Eタイプ」。写真のモデルは1968年の「Eタイプ4」チンさんが魅せられたジャガー「Eタイプ」。写真のモデルは1968年の「Eタイプ4」 HERITAGE IMAGESGETTY IMAGES

 そしてその写真は、さらにチンさんのその後の運命を切り拓くことにもなります。

 その数年後、1989年のある晴れた日。彼はカリフォルニア州アーバインで、自らが運転するクルマ…もちろん「ジャガーEタイプ」で仕事に向かっている最中でした。フロントガラス越しに見える低いボンネットの美しい曲線と、西海岸の青い空に向かって伸びるフェンダーを見て、思わずほくそ笑んでいたに違いありません。ですがやがて、その微笑みを忘れさせるほどの巨大な興奮が、身体中を駆け巡っていることに気がついたそうです。でもその興奮は、愛車「Eタイプ」の巨大な直列6気筒が発する甘美な音によってもたらされたものではありませんでした…。

 その興奮の源とは、愛車「Eタイプ」にも負けず劣らず愛する「仕事」によってもたらされたものだったのです。そのとき、まさにチンさんは伝説をつくるチャンスを手にしていました。そう、今後も語り継がれるべき、壮大な仕事が幕を開けようとしていたのです。

カーデザインの名門校を卒業後、
オペルでキャリアをスタート

 マツダのリードデザイナーであり、初代「ロードスター」の開発において中心的な役割を果たしたことから、「ロードスター」の生みの親とも呼ばれる俣野 努さん(アメリカではトム俣野の名で知られています)。彼はチンさんに、3代目「RX-7」の開発という重大な任務を託しました。二人は、「ジャガーDタイプ」をはじめとするヨーロッパのスポーツカー好きという点で意気投合する間柄でした。

 チンさんが、デザイナーとしてマツダに入社したのは1986年。初代「ロードスター」の開発にも携わりました。そこで、前後のファサードに個性を持たせようとしたことが俣野さんの目に留まったのです。

チンさんが今も所有する、1967年モデルのジャガーの「シリーズI Eタイプ・ロードスター」。カーデザインの仕事を引退した今、少年時代に魅了されたクルマを描くことを楽しんでいますチンさんが今も所有する、1967年モデルのジャガーの「シリーズI Eタイプ・ロードスター」。カーデザインの仕事を引退した今、少年時代に魅了されたクルマを描くことを楽しんでいます COURTESY WU-HUANG CHIN