例えばチンさんの現愛車「ジャガーEタイプ」は、多くの自動車デザイナーにとって長い間インスピレーションと見なされてきました。 その魅力は明白です。 あのエンツォ・フェラーリでさえ、そのデザインを称賛したほどです。つまり、この「ジャガーEタイプ」のように 「時代を超えて愛されるマツダをつくる」という目標は、チンさんにとっては「どこか思い上がりが過ぎるのはと感じ、とても傲慢な姿勢のようにも思えました」と言います。ですがチンさんは、世界的な大プロジェクトの一端を担うチームメンバーであることを再確認し、そして、美しいものを生み出すことこそが自分の生業だと自覚するのでした。

「当時のデザイントレンドは、有機的で丸みを帯びたフォルムで、『ジャガーDタイプ』のようなクルマからインスピレーションを得たいと考えていました。そこで私は、自分が思いつく限りの有機的なカタチを描くことに挑戦したのです。そこでトム(俣野さん)から、こんな助言を受けました。『ボディの贅肉を極限まで落として、筋肉をまとった運動能力の高い有機的なデザインが良いと思うよ』という感じで…」と、チンさんは話します。

 チンさんを始めとする北米マツダチームが目指したのは、レトロなスタイルではありません。彼らが目指したのは、何年経っても美しさが損なわれることのない全く新しいスタイルのクルマだったのです。そこで彼らは、マツダ伝統のロータリーエンジンに立ち返り、最先端のマツダスポーツカーの本質を追求するのでした…。

MAZDAMAZDA

 ちょうど同じ頃、広島ではマツダの技術者たちが「RX-7 FD」の骨格づくりに励んでいました。リードエンジニアの小早川隆治さんは、1967年に発売された「コスモスポーツ」に搭載されていたロータリーエンジンの開発に関係はしているものの、その完成図を読み解いた47人のエンジニア…いわゆる「ロータリー四十七士」の中には入っていないと自ら言います。いわば当時は、関係するも次世代を担う若手エンジニアだったのでしょう。

 そして「RX-7 FD」の開発に励む彼のチームには、後に2代目「ロードスター」である「NB」から現行モデルまでのチーフエンジニアを務めることとなる貴島孝雄さんと山本修弘さんもその当時在籍していたのです。

「RX-7 FD」のシャシーは、オペレーションZ」と呼ばれる技術的な軽量化努力により、約250ポンド(約1.5kg)の軽量化が実現しました。

「リアデッキは、直線にすることを避けて、うねるような曲線を使っています。リアバンパー上部も曲線で、リアバンパー下部のバンスにも起伏のある曲線を採用しています。直線で構成されている箇所は、ほとんど見当たらないはずです」とチンさん。

 さらに次のように説明します。「両コーナーにはデュアル・エキゾースト・パイプを設け、バンパーのロワー・バランスと視覚的に一体化させるという提案もしていたのですが、残念ながら軽量化のために断念しました。センターマウントブレーキランプは、リアランプをつなぐダックテールブリッジに収納されていました。これらの要素が『RX-7 FD』のリアエンドに個性を与え、今もなおその存在感を輝かせているのです」と。