「RX-7 FD」は間違いなく
カーデザイナーとしてのハイライト

 コンペでは、広島チームのデザインとアメリカチームのデザインの両方が選ばれました。とは言え、2チームのデザインにおける方向性は似てはいませんでした。広島チームのものは、ロングテールでキャビンを前方に押し出した「コスモスポーツ」に近いデザイン。チンさん率いるアメリカチームは、ロングノーズにショートフードの古典的なGTカーの趣きのデザインをしていたのです。

 さらにアメリカのデザインチームは、フロントアクスル(前車軸)の後ろに配置できるロータリーエンジンのコンパクトさを利用して、フロントオーバーハング(前輪中心より前に突き出ている部分のこと)を減らしたのです。そうして日本のマツダでチーフデザイナーを務める佐藤洋一さんのもとで、チンさんのビジョンは生産に向けてさらに磨かれていきます。完成した市販車では、チンさんの考えたディテールがそのまま反映されることになりました。

「ドアハンドルを隠して視覚的にスッキリさせたのは、後のトレンドの先駆けとなりましたが、工学的な抵抗がなかったことには驚きでした。また、前輪の開口部の後ろに空気の出口を設けることで、ロータリーエンジンの動力源がどこにあるのかを視覚的に伝わるようなデザインにしました。車輪開口部からドアまでの距離が短いのは、ロータリーエンジンのコンパクトさを反映しています。エアアウトレット(クルマの車体に設けられた空気の排出口のこと)は、生産過程のエンジニアリングにおいては不要とされていましたが、幸運にも採用するカタチで生産に至ったのです」と、チンさんは話します。

チンさんの自宅ガレージにある「RX-7 FD」。このクルマを完成させた後、チンさんはマツダで数台のコンセプトカーのデザインに携わった後、台湾のメーカーに転職。故郷である台北に戻りましたチンさんの自宅ガレージにある「RX-7 FD」。このクルマを完成させた後、チンさんはマツダで数台のコンセプトカーのデザインに携わった後、台湾のメーカーに転職。故郷である台北に戻りました COURTESY WU-HUANG CHIN

「私自身も『RX-7 FD』を持っていますが、このクルマは私のカーデザインキャリアのハイライトであり、忘れられない思い出です。源となるデザインのテーマこそ私が発信したものかもしれませんが、実際には多くの方が協力して実現したチームワークの賜物です。そして自分も、その一翼(いちよく)を担えたことをとても光栄に思っています」、とチンさん。

 チンさんがデザインした「RX-7 FD」は発売当時、アキュラ「NSX」やトヨタ「スープラ」といった華麗で可愛らしいマシンと並んでいても、ひときわ目立つ存在でした。今日、角張ったデザインと高いベルトライン(ガラス窓のある車体上部とボディ下部との境界線のこと)を持つクルマに囲まれて走っている姿を見ると、さらに特別な存在に思えてきます。筋肉質でありながら優美…。スプリンターであるのと同時に、ダンサーのようにすら見えます。

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 現在の「RX-7 FD」は、ペブルビーチ・コンクール・デレガンスで堂々と台座に座るにふさわしい姿をしています。つまり、チンさんとトム(俣野)さんが当初掲げていた目標は、ここで見事達成されたと言えるでしょう。そして何より、デビューから30年経った今でも、見る人に欲望と驚きを与えているのは確かなはず…。

 これまで、自動車業界では多くの美しいクルマがつくられてきました。その中でも、「ジャガーEタイプ」のような名車中の名車は、見る者に多大なるインスピレーションを与え続けていくのです。それと同様に…冒頭のチンさんのように、どこかの国で、どこかの若者が「RX-7 FD」の写真を見て、一瞬で恋に落ちる…という経験をしているかもしれません。そこで生まれた熱い情熱が彼を、果たして、どこへと導くのでしょうか…。それはまだ、結果として出ていません。もうそろそろ、そんなインタビュー記事が読めるかもしれませんね。

Text by Brendan McAleer and Ryutaro Hayashi
Source / Road &Track
この翻訳は抄訳です。

マツダの名作「RX-7 FD」の開発秘話を、台湾出身デザイナーが語り尽くす!