強面刑事が上下関係に拘らず、
飲み会を開かなかったわけ

「大峯係長が所轄にある捜査本部に顔を出すのは朝だけで、会議を終えるとさっさと姿を消してしまう。取調べすら所轄でやりたがらなかったのです。すぐに容疑者を霞が関の警視庁本部庁舎に連れて行ってしまう。捜査本部にほとんどいないので、私たち部下からすれば、『係長はいつも何をしているんだ?』と不思議に思っていました」

 当時、警視庁捜査一課の通例では捜査本部が設置されると、係長以下の捜査員は連日のように、捜査本部に泊まり込み勤務となることが当然とされていた。昼は捜査で走り回り、夜は若手刑事が作った夕食を取る。そして夜半過ぎまで班員たちで飲み明かす。昔ながらの体育会系の合宿のような毎日のなかで疲弊する捜査員も多かった。

「大峯班は毎日酒を飲むこともないんです。そもそも大峯係長がすぐ自宅に帰ってしまう。だから部下たちも『自宅に帰るか』となる。私が捜査一課の他班にいたときは、何週間も捜査本部に泊まり込み、毎日酒飲むのが当たり前だった。でも、毎日酒を飲んでいたら次の日の午前中は仕事にならないんですわ」(佐野)

 強面刑事として知られていた大峯だが、係長としては意外にも上下関係に拘らないスタイルで部下たちを統率していた。捜査本部で飲み会を開かないのは、大峯曰く「税金である捜査費を使って警察官が酒を飲むことを良しとしなかったから」だという。捜査本部に長居をしないのも、「無駄な会議ばかりしても意味がないでしょ。捜査員をむやみに管理したくなかった。刑事の個性は仕事で出してもらえばいい」というポリシーを大峯が持っていたからだ。

 大峯自身が自由に動き回る刑事だったがゆえに、刑事の個性が捜査の大きな強みとなると理解していたのだろう。腕利きの刑事たちに「自由」を与えれば、彼らは自然と「責任」を感じ、結果を出すべく捜査に勤しむのだ。その捜査スタイルは、合理性を重視したものだったといえるかもしれない。

(続く)