昔からいる「唾・たん吐きおじさん」
「近未来都市」とどう共存するか

 「道に唾やたんを吐くおじさん」と答えたのは20代前半の男性。このおじさん像は昭和の昔から今日に至るまで連綿として続くひとつの典型である。

「誰がどう見ても不快感しか覚えないような行為を、どうして公共の場で平然とやってのけることができるのか。常々ああはなりたくないと思う」(20代男性)

 唾・たん吐きは中年男性に限らず、若い男性がやっているのを見かけることもあるが、それぞれの印象はやや異なる。若い男性が道に唾やたんを吐くのは反社会性の表れであり、ほぼ無意識によって行われる「くだらねえ世の中を俺は唾棄する」という、いささか青臭さを含んだ意思表明に見えなくもない。

 一方、中年男性のそれは、生理現象を我慢できなかった下品な獣のごときに映る。公共の場で人が排せつを慎むことができるのは人に理性が備わっているからだが、準・排せつ行為に当たる唾吐きを慎めない中年男性たる種は、はたして同じ人間として理性や知性は備わっているのだろうかと、若い人から見ると思えてしまうわけである。

 唾吐きやたん吐きは、落書きが減ると犯罪も減る“落書き理論”に通じるものがあって、きれいな街並みの中ではあまり見られない。しかし繁華街や、少しうらぶれた路地などに行くと遭遇する確率は高くなる。

 とはいえきれいなオフィス内でも、向こうの方のデスクで作業をしている中年男性社員が唐突に「カーッ」とたんを吐くための音を出すケースがある。本人は「喉に絡んだたんをスッキリさせて、大きい音も出るから気持ちいいし、さあ仕事に一層励むぞ!」と気勢を上げているつもりかもしれないが、周りでデスクワークをしている社員は「うるさくてびっくりする」「そのたんの行方はどうなるの」などいろいろと気になって、また生理的嫌悪感によって集中力が切れる。
 
 だから、どうしても「カーッ」とやりたい場合はやはりトイレの個室に移動するか、やる前にその場で手を挙げて立ち「怪鳥の物まねをしまーす」とでも宣言したのち、怪鳥の鳴き声に「カーッ」を混ぜてうまくごまかすのが望ましい。

「カーッ」は人前でやらないのが当たり前なので、やらなくて加点されることはないが、やると減点著しい。中年は生物学的に、生理現象の赴くままに身を委ねたい衝動が大きくなってきているので、しかと注意されたい。