トライアンフ社長から
ハーレー社長になった理由

 トライアンフの事業基盤がしっかりと出来上がり、コロナ禍でも販売台数が前年比25%増となり、一つの区切りはついたかなと思っていた昨夏ごろ、ハーレーダビッドソンジャパンの社長就任のお話をいただきました。ライバル会社のトップに転職するなんて全く考えていなかったのですが、ハーレーのブランドをもう一度復活させるというのはすごく魅力的に思いました。

 ハーレーは他の輸入ブランドにシェアを食われている状況が続いています。

 輸入小型二輪車の新規登録台数は2011年度に1万9315台でしたが、20年度には2万1789台へと1割以上増加しています。

 しかし、同期間でのハーレーの台数は1万1609台から7846台へ減少。シェアも60.1%から36%にまで減少しました。

 一方で、BMWやトライアンフなどがシェアを伸ばしています。

 私がハーレーダビッドソンジャパンの社長に就任したのが20年12月ですが、この月の販売台数は(日本自動車輸入組合が統計を開始した10年7月以来)初めてBMWに抜かれ、ショックでした。

 海外でもハーレーの業績が厳しい状況が続いていましたが、昨年5月に、ハーレーダビッドソンの米国本社では経営体制ががらりと変わりました。かつて経営危機にあったプーマを再建したヨッヘン・ツァイツ氏がCEOに就き、ハーレーの改革に乗り出しました。

(編集部注:ハーレーダビッドソンの業績は2018年12月期売上高57億1687万ドル、営業利益7億1352万ドル、19年12月期売上高53億6178万ドル、営業利益5億5560万ドル、20年12月期売上高40億5437万ドル、営業利益967万ドルと右肩下がりが続いている)

 こうした中、ハーレーダビッドソンジャパンの社長に求められているのは、日本の二輪車市場に詳しく、日本人のメンタリティーを理解し、さらに日本のビジネスパートナーである販売店などと共に本当の変化を起こせる人でした。

 それまでは外国人3人が計9年間、ハーレーダビッドソンジャパンの社長を務めましたが、こうした事情から日本人である私に社長就任の話が来ることになったのです。

野田一夫(のだ・かずお)/1969年3月6日生まれ。福岡県出身。93年マツダ入社、2001年BMWジャパン入社、06年BMWファイナンス入社、07年アウディジャパン入社、13年トライアンフジャパン入社、14年トライアンフモーターサイクルズジャパン代表取締役社長、20年12月ハーレーダビッドソンジャパン代表取締役社長。

>>後編に続く

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