「人に迷惑をかけるな」が
欧米流「法のルール」を凌駕

 この「世間のルール」の一つに、「人に迷惑をかけるな」という呪文のようなコトバがある。

 日本人は、このルールがアタマに強固に刷り込まれているために、「人に迷惑をかける」行為が、なんら「法のルール」に反するものでなくとも、あたかも犯罪でもおかしたかのように極悪非道の行為と考える。

 つまり「ワクチンを打たない」ということは、国や会社や学校や同僚やご近所にとって、まさしく「人に迷惑をかける」行為とみなされる。実はこれが、ワクチン接種への強い同調圧力を生み出しているのだ。

 一方、社会の構成原理である「法のルール」の観点に立てば、予防接種法9条では「接種を受けるよう努めなければならない」という「努力義務」を課してはいるが、接種はあくまでも「任意」にすぎない。

 すなわち、接種するかしないかは完全に個人の自己決定に委ねられている。

 しかし、この「法のルール」はタテマエにすぎない。国や会社や学校がいかに「接種は任意ですよ」と注意喚起したとしても、「世間」が勝手に「人に迷惑をかけるな」という同調圧力を発揮して、「空気読めよな」と、人びとにワクチン接種を強制する。

 つまり、ホンネとしての「世間のルール」に基づいて醸成された空気は、「法のルール」を凌駕するような巨大なチカラを持っているのだ。

 ちなみに、「世間」の存在しないアメリカでは最近、テキサス州のヒューストン・メソジスト病院が、雇用条件として職員に新型コロナワクチン接種を義務づけた。

 接種しなかった116人の職員が、病院を相手取って義務づけは不当だとして訴訟を起こしたが、連邦地裁はこの訴えを退けたという。

 欧米では社会しか存在しないために、すべては「法のルール」に基づいて解決するしかなく、もっぱら紛争の決着をつけるのは裁判所である。しかし日本では、「世間のルール」が優先されるために、「法のルール」に訴えること自体が、「裁判沙汰」などと呼ばれ「世間」から非難されるところが、欧米とはまるで違う。

なんでも「人間平等主義」
「自分は自分、他人は他人」にならず

 ワクチン接種への同調圧力が生まれる理由がもう一つある。

「世間のルール」のうちで、これは中根千枝さんのコトバなのだが、「人間平等主義」というのがある。