『独学大全──絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』が、20万部を突破。分厚い788ページ、価格は税込3000円超、著者は正体を明かしていない「読書猿」……発売直後は多くの書店で完売が続出するという、異例づくしのヒットとなった。なぜ、本書はこれほど多くの人をひきつけているのか。この本を推してくれたキーパーソンへのインタビューで、その裏側に迫る。
今回は特別編として、日本最高峰の書評ブロガーDain氏と『週刊ダイヤモンド』特別付録「大人のためのBESTマンガ」を監修した読書猿氏の「マンガ対談」が実現。『独学大全』とあわせて読みたいマンガ について、縦横無尽に語ってもらった。(取材・構成/谷古宇浩司)

アニメと比べて読むともっと面白い『ハイキュー!』『映像研』

読書猿 前回の記事で紹介した『ハイキュー!!』の古舘春一さんは中学、高校時代、バレー部に所属していたはず。だからバレーマンガを描きながら読者に「自分のフィールドに来て」みたいに感じていたのかもしれない。実際に、このマンガでバレーボール部員が増えたという話もあるそうです(注1)。昔だったら「そんな細かいこと、難しいことを言っても子どもはついてこない」と言われただろうけど、今のスポーツマンガはそうじゃない。

 マンガとして構図の工夫もたくさんあります。テレビ中継では絶対見えないアングル、ボールの動き、ネットをちょっとずらしたところからの絵。カメラアングルとしてはありうるのだろうけど、実際、僕たちがほとんど見たことのないものを描き出しています。いろいろな意味で緻密な作品ですよね。アニメも頑張っていて、「このシーン、(アニメだったら)どう撮るんだろうな」と悩むようなマンガの場面をうまく映像化している。

Dain マンガと映像作品を比べると、確かに面白いですよね。

読書猿 その流れで『映像研には手を出すな!』とそのアニメ版の話をしていいですか。高校生の女の子3人がアニメを作る話で、彼女たちが作ってきたアニメが劇中劇として展開される。その劇中劇が本当によくできていて。あと、マンガ版だと現実から彼女たちが話している妄想への移行が不自然ではないんですけど、果たしてアニメだったらどうかと思っていたら、とてもシームレスにやっていて、さすがだと。

本好きもうなる!「天才と凡人の差とは何か」を教えてくれる超スゴいマンガ4冊大童澄瞳『映像研には手を出すな!』(小学館)

 監督の湯浅政明さんはいま、日本のアニメ監督の中でトップクラスの人。実際、アニメ制作をモチーフにした『映像研には手を出すな!』って、アニメ業界の人にはすごい挑戦状に見えたんじゃないかな。下手なアニメにしたら、作中の彼女たちに負けちゃうわけで。湯浅さんは、それを正面から受けて立ってる。

『映像研には手を出すな!』の作者の大童澄瞳さんはもともとは映画の話をやりたかったようです。ものづくりをする人の魂をぶち抜く作品ですね。

 このマンガに出てくる女の子たちは、普通に考えれば、何かを創作せざるを得ない業(ごう)に取り憑かれた人たちなんだろうけど、でもいつも本当に楽しそうなんですよ。悩んでない。悩むだけの、近代的自我が芽生えていない(笑)。そういう状態で作品を創り出してしまう。『ブルーピリオド』の登場人物たちのような自我がないんです。他人からの期待に苦しめられたりしないし、他人の才能に嫉妬することもない。だから彼女たちは悩まない。苦しんではいる。もっと作りたいものがあると泣くけど、悩みはしない。

 主人公の浅草みどりさんにとっては、アニメの設定が命です。スイッチが入るとスケッチブックを開いて、一気にイメージボードを描き始める。彼女とは別に、絵を描くのが好きな読者モデルの水崎ツバメという女の子がいて、彼女はアニメーションをつくりたい、キャラクターを動かしたいという欲望とこだわりを持っている。現実の動きをひと目でコピーできる目を持つ動きの天才。設定を考える天才と動きの天才のアニメーターが出会う。その2人に「金と暴力で解決します」がモットーの超リアリスト、金森さやかさんがプロデューサー役として加わる。

 そりゃあ勝つよね。そりゃあ作品もどんどんできるよ。そう思わせる第1話だけで、この人達、いったいどこまで行くんだろうと思いました。1シリーズで彼女たちが作品を作って、次のシリーズで次の作品へというパターンなので、そういう意味では、作品を作るという短期的な目標はあるものの、物語としての終わりは見えない。彼女たちは高校生なので、今はまだ高校という世界でアニメを作っているわけだけど、少しずつ「外の世界」が見え始めている。

『週刊ダイヤモンド』特別付録「大人のためのBESTマンガ」で、中面のコマを紹介しているんですけど、この作品、吹き出しにパースがついているんですよね。普通、吹き出しは、読者から見て真正面を向いているんですけど、この作品のふきだしは傾いてる。線遠近法(透視図法)といって、3次元の世界を二次元で表現するとき、手前のものから奥に遠ざかるにつれて小さく描いていくことで、遠近感を表現できるんですけど、このマンガのふきだしも、この法則に従ってる。消失点に向けて角度がつけられているんです。

「第四の壁」ってあるじゃないですか。演劇用語で、舞台と客席を分ける想像上の壁のことをいうんですが。向こう(舞台)側にとってはこっち側(客席)は存在しないけど、こっち(客席)からは舞台が見えるみたいな。マンガに遠近法を取り入れたのは手塚治虫だという話があるけど、吹き出しは基本的に、この「第四の壁」に貼り付いている。だから作品世界の外にあるし、すべて読者の方を、正面を向いているんです。でも『映像研』の場合、吹き出しにパースがあるということは、(吹き出しが)作品の中にあるということになる! 最初読んだときは、何が起こっているのかと思いましたね。

 他にも、浅草さんたちの妄想が、イメージボードみたいに描かれて、その中に登場人物がシームレスに入り込んで、妄想の続きを話し続ける。その中には、超リアリストの金森さんも自然に参加して、妄想の一員になってしまっている。落書きしてた、昆虫型の飛行機に乗り込んで、ビルにぶつかりそうになって、みんなで片方に体重かけて飛行機を傾けて、ビルとビルの隙間を抜けて行く。その先に広がるすごい世界を3人共が幻視する。これが1話目。持っていかれるでしょ。

Dain 作品の外側にあって、読者と仲立ちする吹き出しを、作品の内側のものにしてしまう。さらにそこで妄想に入ってしまうんですね。吹き出しがメタになったような……そして、作品の中の妄想から、いきなり現実に戻ったり。

読書猿 毎回そんな感じです。描き出して、妄想に入って、戻ってくる。シリーズの中で、最後には作品になる。それをマンガの中で見られる。『映像研』のアニメは、これをもっとシームレスに見せてくれる。

 ただ、さっきも言ったように、彼女たちに苦しみはないんですよ。描きたいものはいっぱいあるので、「時間がなくて描ききれない」という悩みはあるけど。きっとネタに詰まることはないんでしょうね。

注1:バレーボール部員増加は漫画『ハイキュー!!』効果? Number Web (文藝春秋、2016年1月18日)。
注2:『映像研には手を出すな!』(大童澄瞳、小学館):『究極超人あ~る』(ゆうきまさみ、小学館)以来継承される弱小文化系部活のテンプレを、温暖化が進んで紙の本が骨董化したほんの少し先の未来に、そこに秘密基地的妄想の愉しさと、創り続けないと生きられない才能を、すべて詰め込んで成立させる新しい漫画表現が発明されました。(読書猿)

『3月のライオン』も天才の物語

Dain 「映像研」もそうだけど、読書猿さんは「天才」の話が好きですよね。何か理由があるんですか?

読書猿 僕は自分が凡才で、おまけに努力が嫌いだから、天才に憧れるんです。天才だったら、努力抜きで何事ができそうじゃないですか(笑)。でもね、そういう甘美な夢は『ハチクロ』を読んで、粉々に打ち砕かれました。ぼんやり天才にあこがれたままでいたかったら、このマンガは読むべきじゃなかった。

 普通の人は、天才が何を考えて何に苦しみ生きているのか、本当のところ、知る必要がないんです。羽海野チカという人は天才で、彼女がなぜ、漫画を描き出したのかというと「友達が欲しかったから」というんですね。友達が欲しいならほかに方法があるだろうと僕なんかは思うんだけど。それで彼女が描いたのが『ハチクロ』。『ハチクロ』というのは、羽海野チカにとっては、自分を含む天才とはどういうものかを知ってもらって、世の中に自分の居場所を作ろうとしたマンガなのではないか。そう思わざるを得ない。天才がいかにどうしようもない状況でじたばたやっているか。僕たち凡人は、そんなこと知らない方が幸せに生きられる気がするんです。でも、知ることは、なにしろ不可逆なので。

 僕は独学者なんですが、師匠はいっぱいいて、たとえば芝崎るみさんというデザイナーがいます。若い頃、東京・新大久保の焼肉屋さんで芝崎さんに「あんた、これから天才として生きろ」と言われた。天才にはならなくてもいい、あんたはもう天才だから、と。多分、当時、僕は才能にこだわっていたのだと思います。今自分がこんなに苦しいのは才能がないからじゃないか、とか。それもあって、自分の中で天才がキーワードになって、引っかかってしまっていた。

Dain 『独学大全』を読むまでは、僕は読書猿さんのことを「天才」だと思っていたんですよ。でもあの本を読んで、そうか、この人は本当に一歩一歩、1日1日を重ねて「読書猿」になったんだなとわかりました。

読書猿 僕自身は僕の天才理論に当てはまらない。都合の悪いことは忘れるし、自分を突き動かす「外部足場」がない。ただ、天才の「業」のようなものには関心があります。だから天才が登場する物語に惹かれるんです。

『ハチクロ』は、芸術の天才はぐちゃん(花本はぐみ)と神様との契約の物語でもある。芸術へ献身という神様との契約が彼女の天才性を支えている。一方で、『3月のライオン』の桐山零くんは、「生きるために醜い嘘をついた」という言い方をしていました。

本好きもうなる!「天才と凡人の差とは何か」を教えてくれる超スゴいマンガ4冊羽海野チカ『3月のライオン』(白泉社)

『人生を変えるアニメ(14歳の世渡り術)』(河出書房新社)に『3月のライオン』について書きました。「業績を上げたかったら嘘をつくことだ」と。嘘をつくとその場では自由になれた気がするんだけど、実際にはその嘘でがんじがらめになる。そのことが自分を逃げられない地点に立たせ、結果的にパフォーマンスを飛躍的に上げるんだと書いたんです。それをやっているのが桐山くんだと。本当は将棋が好きじゃないのに、好きだという嘘をついた。

 はぐちゃんにとっては「神様との契約」だったものが、零くんにとっては「生きるための醜い嘘」だという。彼の棋士としての人生はここから始まります。

 桐山くんだけではありません。第8巻で棋匠タイトルホルダーの柳原朔太郎さんがA八段の島田開さんと第三十三期棋匠戦を戦う。応援してくれる人やかつてのライバルから託された「タスキ」の重さが柳原棋匠を追い詰めていく。相手は強敵の島田八段。もはやこれまで、と思ったところから少しずつ盛り返し、最後に勝利をもぎ取る。

「精一杯頑張った人間が最後に辿り着く場所が焼け野原なんかであってたまるものか!!」(『3月のライオン』第8巻)と柳原棋匠は考えるわけですが、それが制約となり、絶望的な状況でも勝負を捨て去ることができない。しかし、だからこそ常人が辿り着けない場所にまで足を踏み入れられるのかもしれない。

 何かを我慢する、あるいは、諦めることで、常ならぬ力が発揮できる仕組みがあるのはわかる。桐山くんはそういうふうにして頑張っているんだけど、ひなちゃんという彼女ができちゃったしね。『3月のライオン』には次の展開があるような気がするし、それによっては僕の天才理論は破綻するかも。

Dain 僕はひなちゃんが「彼女」になったことで、桐山くんが守らなければならない重みがさらに増したと思います。

 そして、将棋の神様との契約として、次に彼が差し出さなければならないのは、ひなちゃんになる、という残酷な結末を妄想します。羽海野チカさんの作風からすると、ありえない展開ですが、物語として最も美しい結末だと思います。一方で、読書猿さんの言う「将棋の神様を選ばない」という結末もありですね。

Dain(だいん)
書評ブログ「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」管理人
ブログのコンセプトは「その本が面白いかどうか、読んでみないと分かりません。しかし、気になる本をぜんぶ読んでいる時間もありません。だから、(私は)私が惹きつけられる人がすすめる本を読みます」。2020年4月30日(図書館の日)に『わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる』(技術評論社)を上梓。