天理、PL学園、松山商、龍谷大平安…名門校がずらり

 続く4位にも2校が並んでいる。1校目は天理高(48勝26敗)。戦前から予選には参加していたが、甲子園に出場したのは1954年の春が最初、夏の大会は1959年が初めてだ。以来、一貫して一定の力を保ち続け、60年間で48勝を積み上げた。今年の選抜でもベスト4に進んでおり、来年以降、まだまだ勝ち星は伸びそうだ。

 そしてもう1校はPL学園高(48勝13敗)。こちらは学校の創立が戦後の1955年で、甲子園初出場が1962年。1970年夏に早くも準優勝すると、以後、平成中盤までその名を全国にとどろかせた。特に、1970年代後半から1980年代にかけての10年間は、無敵とも思わせる強さを発揮した。しかもただ甲子園で勝つだけではなく、卒業生が次々とプロ入りし各球団の中心選手として活躍するなど、高校野球の盟主の座に君臨していた。

 その破竹の勢いから、あらゆる記録を塗り替えるかと思われていたが、内部事情で専任監督が不在となり、2016年夏の府大会を最後に休部、翌17年には高野連を脱退した。現在再開のめどは立っておらず、やがてベスト10からも消えそうだ。

 第3位は松山商(56勝21敗1分)。夏だけで優勝4回、準優勝3回、「夏将軍」という異名を取るほど夏に強かったが、2001年夏にベスト4に進んだのを最後に20年間、甲子園に出場できていない。4位天理高が8勝差まで詰めてきており、このまま未出場が続くと逆転されそうだ。

 なお、松山商は戦後のごく一時期、松山東高に吸収されて同校の商業科となっていた。その間の1950年夏には松山東高として甲子園に出場し全国制覇している。このときの4勝を加えると通算は60勝となる。また、1分とあるのは、1969年夏の決勝戦、三沢高との延長18回引き分け再試合である。

 第2位は龍谷大平安高(61勝31敗)。現在の校名になったのは2008年のことで、年配の方には平安高の方がなじみがあるかもしれない。戦前からの名門だが、初出場したのは1927年と昭和になってから。予選の同地区(かつては京滋、現在は京都)に強力なライバルが少なかったことから出場回数も34回と、北海高(今大会が39回目)、松商学園高(今大会が37回目)に続いて全国第3位。平成に入ってからも着実に勝ち星を重ねており、当分2位は維持しそうだ。

空前の3連覇、中京大中京高が堂々の第一位!

 夏の大会で全国最多の勝ち星を誇るのは、多くの通算記録部門でトップに立つ中京大中京高(78勝21敗)。夏の通算勝利数も78と2位には17勝もの差がある。1大会では優勝しても最大6勝しかできないうえ、2位の龍谷大平安高は今大会出場できず、当分1位の座は安泰だろう。

 戦前から、中京商、中京高、中京大中京高と名前を変えながら、一貫して全国トップクラスの実力を保ち続けている。そのため、第1回大会の頃から活躍していると思っている人も多いが、実は同校が創立されたのは、第9回大会が行われた1923年。大会当初にはまだ存在しなかった。

 しかし、1931年に初めて甲子園に出場すると、いきなり夏の大会で全国制覇、しかもそこから空前の3連覇を達成した。以来、平成初期に一時低迷したが、2009年夏にも全国制覇するなど、現在でもその勢いは衰えていない。ちなみに、現在までの通算試合数は99試合。今年の選抜ではベスト4に進むものの、夏は県大会準決勝で敗退。史上初の夏の大会100試合は来年以降に持ち越しとなった。

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