名づけ親に自分の名前の由来を聞いたり、字源や語源を調べてみたりして、自分の名前に込められた思いを知り、解釈する。そうすれば、自己紹介とはまた違う、「名前紹介」ができるようになるだろう。

 名前は大切だが、あくまで参考資料の一つにすぎない。受け取った名前とともに生きていくのは自分自身である。自分の名前に自分なりの解釈を追加していくことで、名前はもっと愛着の湧くものになっていく。

 著者の名前は広太郎である。「広」という文字があるから、広告業界にとどまらない広い視野を持っていたい。「太」という一文字があるから、安定感を意識しながら、「ここぞ」というときには大きな勝負ができる太い生き方をしたい。そう解釈している。

◇好きな人物像、嫌いな人物像に名前をつける

「好き」「嫌い」という感情には、言語化しにくい、感覚的な部分も多いものだ。一方、「好きな人」と「嫌いな人」であれば、比較的イメージしやすいのではないだろうか。「好きだなあ」としみじみ思う人もいれば、「二度と会うもんか、嫌いだ!」と思う人もいる。

 自分を解釈するための試みの一つとして、「好きな人」と「嫌いな人」の人物像に名前をつけて、自分の「好き」と「嫌い」を自覚してみよう。好きな人、嫌いな人の具体名を思い浮かべるのではなく、「好きな人」と「嫌いな人」を思い出して、その人物像を言語化していく。自分の感じたことを書き出した上で、有名な物語の中に似たような状況を探したり、何かにたとえたりしながら、「名前をつける」という行為を通じて、自分の感情を俯瞰して見てみる。

 著者が開催したワークショップでは、参加者の「好きな人」として「映画版ジャイアン」「実家の毛布みたいな人」などといった表現が挙がった。「映画版ジャイアン」は「普段はちょっとなあ……と思っていてもいざというとき、異常に頼りになる人」、「実家の毛布みたいな人」は「まるで毛布で包まれるように、とてつもなく安心感のある人」だ。

 好きな人の人物像を言語化すると、「こうありたい」という理想の自分が見えてくる。さらに、「好き」を自覚することで、その姿に近づいていくことができるだろう。

「嫌いな人」として挙がったのは、「言い訳大臣」「縁の下の太鼓持ち」などといった名前だ。「言い訳大臣」は「言い訳しているばかりか、ふんぞり返って偉そうな人」。「縁の下の太鼓持ち」は、「縁の下で支えるというより、媚びへつらってばかりいる人」だ。