山峡の国を経営する武田信玄は、「厳しい環境の中にあって、最も可能性のある手持ちの資源は人間だ」と考えていた。そのため、彼の“人づくり・人育て・人使い”には、切実なものがあった。

 しかし彼は、子どもの時から苦労をしていたので、単に機能として部下を育てたわけではない。深い愛情があった。彼は「人を育てるにしても、まずその人間がどういう性格で、どういう可能性を持っているかを見極めなければだめだ」といっていた。

 つまり、「人育ては、まず人を見ることから始まる」というのである。

信玄の鋭い人間洞察力が部下の忠誠心を生んだ

 信玄の「育てられる人間の性格を知る方法」として、こんなエピソードがある。信玄はよく子どもや若者を集めて合戦の話をするのが好きだった。それを耳学問として、やがて実際に合戦場に出た時役立つと思うからである。いってみれば、実戦の前の理論講義のようなものだ。信玄はこんなことをいっている。

「合戦の話しをする時に、例えば四人の若者が聞いていたとする。すると聞き方がそれぞれ違う。一人は、口をあけたまま話し手であるわたしをジッと見つめている。二人目は、わたしと眼を合わせることなく、ややうつむいて耳だけを立てている。三人目は、話し手であるわたしの顔をみながら、時々うなずいたりニッコリ笑ったりする。四人目は、話の途中で席を立ちどこかへ行ってしまう」

 信玄はこれらの聞き方によって次のように分析する。

・一人目は、話の内容がまったく分かっていない。注意散漫で、こういう人間は一人立ちできない。
・二人目は、視線を合わせることなく話だけに集中しようと努力している証拠だ。いま武田家でわたしの補佐役として活躍している連中のほとんどが、若い時にこういう話の聞き方をしたものだ。
・三人目は、「あなたの話はよく分かります」「おっしゃるとおりです」という相槌を打っているのだ。しかし、これは話の内容を受け止めるよりも、その社交性を誇示する方に力が注がれている。従って、話の本質を完全にとらえることができない。
・四人目は、臆病者か、自分に思い当たるところがあってそこをグサリとさされたので、いたたまれなくなった証拠だ。

 まるでフロイト顔負けの鋭い人間洞察力である。しかし信玄はこうもいっている。