1990年代後半、私はハイアール、聯想(今はレノボとして知られる)に関心を払い、長期間にわたる観察、取材を経て、この2社がやがて中国企業の旗手的な存在になるだろうと見て、報道に踏み切った。ハイアールを最初に日本に紹介したのは、たぶん私だろうと自負したいほどだ。

古い友人に門戸を
開放してくれたハイアール

 最初の紹介レポートの中で私は、ハイアールは中国の松下電器(現パナソニック)になるだろうと予言した。その後、5年ほどこの2社を繰り返し取材し、さまざまな角度から研究し、報道してきた。アメリカのみならず灼熱の中東にまで足を運び、世界に出ていくハイアールを追っていた。これらの取材の結果は、私の著書やNHKのスペシャル番組などの形で、読者に提供した。

 2002年、1ヵ月以上にわたる取材を終え、ハイアールを離れようとしたとき、同社の関係者から「次回はいつ来られるのか」と聞かれた。「次回という機会はそう簡単には来ないと思う。ハイアールが次のステップに進んだとき、また取材に来る」。それは私の答えだった。

 10年の歳月が流れ去った。その10年間、私は本当にハイアールを忘れたかのように一度も取材しなかった。今年1月、ハイアールが旧三洋電機の白物家電部門を吸収したニュースを聞き、そろそろもう一度ハイアールに当たろうかと考え始めた。それでタイミングよくNHKから取材協力の要請が来たので、それに乗った。

 社員数8万人、24ヵ国に工場をもち、製造した商品が世界130ヵ国で販売され、冷蔵庫などの製造台数が世界一となったハイアールは、いまやまぎれもなく巨大な多国籍企業となった。その取材のハードルも相当高くなったと事前に聞いた。

 しかし、取材の申し込みを出したら、ハイアールは古い友達を覚えていてくれ、気持ちよくドアを開けてくれた。そこで10年ぶりの取材と観察が始まった。大きく変わったものとまったく変わっていないものとの比較に、多くのことを考えさせられた。この取材の現場で私が気付いたことを数回に分けて読者のみなさんに報告したい。