河村市長が、政治家の給料は少なくていいと考える理由
なぜ河村氏が全国の市長で最低の「月50万」にしているかというと、政治家はパブリックサーバント(全体の奉仕者)と考えているからだ。
年収がトータル3200万円の国会議員も選挙演説などで同じことを言うが、実は世界でもこんなにガッツリと税金で食わせてもらっている議員はレアケースだ。税金による負担は最小限にして、寄付で活動をするスタイルが多く、利権を貪らないように期限を設けて、議員を長く続けられなくしていることもある。また、地方議会などは昼間に本業があって、休日や夜の議会に参加する「兼業議員」という国もある。
しかし、日本では国会議員も地方議員も一度当選すればやめたくない、高給取りの美味しい職業となっている。だから、なるべく長く続けて、しまいには息子や孫にも後を継がせて、「ファミリービジネス」にしたいという人たちが続出する。かくして、日本の議会には3代続く世襲議員や、80歳オーバーの高齢議員が溢れかえっているというわけだ。
こういうビジネス政治家に思いきった改革はできない。だから、給与を下げて「ボランティア」にすれば、高給取りの上級国民ではなく、社会に奉仕するパブリックサーバントが増えていく。河村氏はそう考えているのだ。
もちろん、賛同できない人も多いだろう。筆者もこの件でよく議員や政治記者と意見を交換するが、ほとんどの人が否定的だ。
「それでは貧しい人が政治家になれない」「安定した収入がないと不正をするのでは」「優秀な人材がこない」と、議員には企業経営者くらいの金を税金で出さないと、日本がおかしくなってしまうという。
しかし、今の状況を見ていただきたい。年収3200万の国会議員に、貧しい人の代表や、優秀な人ばかりが集まって、国民目線の政治が実現できているのか。税金でこれだけ食わせているのに、「政治とカネ」の問題も一向になくならない。
「政治家=特権階級」という明治時代から脈々と引き継がれてきた「政治家にたくさんお金をあげれば、そのお金に見合う仕事をしてくれるはずだ」という考え方自体が間違っているという可能性もあるのではないか。
河村氏が掲げる「減税」もそうだ。
一般的には、減税や行政改革というのは、政治家がリーダーシップを発揮して、税金のムダをカットしたり、行政をスリム化したりして達成される、と考えられている。
しかし、現実はどうだろう。行政改革も政治改革もほとんど進んでいない。減税どころか増税が進んで、社会保障の負担もどんどん重くなっている。つまり、「優秀な政治家を応援さえしていれば、改革が進んで国民の生活がラクになる」という考え方も間違っている可能性があるのだ。
だから河村氏は「逆」を続けている。まず「減税」をするのだ。税収が減れば、追いつめられた行政は自らムダを削減していくしかない。そうなると税金でメシを食う政治家も我が身を削るしかない。いくらムダを減らせと言っても自浄作用のない組織は必ず抜け穴をつくる。そこで、収入を意図的に減らすことで、自ら改革をするように促すのだ。