川の流水量が削減される経路のひとつに、森や田んぼや池に溜まる水「保水」がある。また、上中流もしくは人為的に決められた場所での氾濫を「遊水」と呼ぶ。各地で「遊水地(池)」という場所を敢えて設定し、下流の流量を計画的に減少させる工夫がされている。

 これまで行政は、河川や下水道の構造を整備して水害を防止することを「治水」としてきた。しかし本来、山地や森、田畑や町を含めた流域を総合的に利用したり整備したりすることが、治水の基本といえるだろう。

◇流域治水への転換

 大量の雨が降っても、人の暮らしが水害に遭わないようにする事業のことを「治水」と呼ぶ。家の土台を高くする、その周囲を土手で囲んで水の浸入を防ぐことも治水の方策である。

 河川の構造を変化させる治水では、川の幅と深さを拡張し、流下する水の高さを抑えることで氾濫を抑制する。ダムを造って川の中の洪水を貯留することや、水源地域の森を手入れして保水力の高い森林を整備することも治水である。

 低地地域は自然排水が難しく、氾濫水(内水)は下水道で処理されるのが一般的だ。氾濫の可能性の高い内水は、側溝やポンプ場経由で川に排水されていく。

 下流の大氾濫を防ぐ工夫は、流域の上流部から中流部、そして下流の低地地域それぞれに存在する。これらを総合的に活用する治水方式が「流域治水」であり、そもそも治水とは「流域治水」以外にないのである。

 明治以降、日本は大規模な技術に頼る治水を目指してきた。雨水の集まる河川、下水道という構造を効率的に改造・管理し、低地での氾濫を抑えるという方式を追求してきた。しかし都市開発の規模が拡大し、豪雨も頻発するようになった今、それでは難しくなってきている。

 2020年7月、国土交通省の河川分科会は「流域治水」という方針を発表した。これは水土砂災害対策を流域という枠組みで進めるという宣言であり、日本の治水の歴史からすると、革命的な方針転換であった。

◆いち早く「流域思考」を取り入れた鶴見川
◇20余年で5回の大水害

 東京都町田市から神奈川県横浜市鶴見区にかけて流れる、小ぶりな一級水系の鶴見川。鶴見川は1980年に、全国109ある一級河川で唯一、流域治水型の治水を始めた都市河川である。

 鶴見川の大氾濫は江戸時代から有名で、明治以降もたびたび激しい水害を起こしてきた。戦後は1958年の狩野川台風による大水害をはじめ、以降82年まで計5回にわたり大水害に見舞われた。58年の氾濫では中下流域を中心に2万件が浸水。当時、鶴見川左岸に暮らしていた著者も被災し、自宅周辺は一面が海のようだったという。