正解は一つではない。議論を通して多様な意見を

 授業では、「Bさんらは、どうしたら仲間はずれという手段を選ばずに、自分たちの思いをAさんに伝えることができたのか」ということを生徒のみなさんに考えてもらいます。その過程で、「Aさんも悪いのにBさんばかり悪いと言われるのはおかしい」「BさんがAさんを仲間はずれにしたくなる気持ちは分かる」「なぜ嫌な思いをしてまで、落ち度のあるAさんに面と向かって苦情を言わねばならないのか」などの意見が出てきます。

 そこでまずお伝えするのは、「大切なものや友だちを傷つけられて腹が立った」というBさんらの気持ち自体は、とても大切で尊重されるべきものだということです。日本国憲法では、国民の「内心の自由」(第19条)が保障されています。私たちは、何を考えても何を感じても、それが心の中にとどまる限りは絶対的に自由です。私たちが考えることや感じることは、私たちの尊厳を支える上で極めて重要だからです。

 だからこそ、法律においては、私たちの“外側”に現れる「行為(=手段)」が問題となるのです。

 人は、「自分が尊重されていない」と感じているのに、相手を尊重することなどできません。ですから、心の中の怒りを軽視せず、それもきちんと認め、誰にでも怒りの感情があることを踏まえることが大切です。まずは自分で自分を尊重し、その次の段階として相手のことを傷つけない手段を検討していくのです。ですから、授業においても、先のような意見を述べる生徒さんの気持ちを先に受け止め、尊重するようにしています。

 この授業の目的は、「一つの正しい答え」を導き出すことではありません。「どのような手段が自分に合っているか」は、一人ひとりが自分と向き合いながら考えるしかないからです。友だちとの議論や意見交換、感想の記述などは、そうした自分と向き合う機会にしてほしいと考えています。

 生徒さんたちの多くは、「自分もBさんと同じ気持ちになるかもしれない」「Bさんの気持ちは分かるけど、取った手段は良くない」「手段が良くなかったと気付いたら改めれば良い」など、いじめる側の「仲間はずれという手段を使わずにいられない」気持ちにも配慮しつつ、真剣に考えてくれます。

「Bさんのやり方はだめ!」という結論を先に意識しすぎると、多様な意見が出にくくなります。まずは、さまざまな観点から議論が活発に行われることが肝心です。