伝統的な大学と求められる大学とのギャップ

気候非常事態という危機に問われるこれからの大学の役割とはやまもと・りょういち
1969年東京大学工学部冶金学科卒業。1974年同工学系研究科大学院博士課程修了、工学博士。1974年マックス・プランク金属研究所客員研究員。1978年ブリティッシュコロンビア大学中間子研究施設μSR国際共同研究。1981年東京大学工学部金属材料学科助教授。1988年東京大学先端科学技術研究センター教授。1992年東京大学生産技術研究所教授。2011年4月より東京都市大学環境情報学部(現環境学部)特任教授及び国際基督教大学客員教授。2021年4月に東京都公立大学法人理事長に就任。専門は材料科学、持続可能製品開発論、エコデザイン学、サステナブル経営学。エコマテリアル研究会名誉会長、環境プランニング学会会長、LCA日本フォーラム会長、環境効率フォーラム会長、国際グリーン購入ネットワーク会長、「エコプロダクツ」展示会実行委員長、北京大学・清華大学など中国の31の大学の客員教授等を歴任している。 Photo:Hiroaki Kurosawa

――気候非常事態宣言が現在の気候危機への対処であると考えると、大学本来の研究・教育機関としての役割とずれるのではないでしょうか。

 それはあるでしょう。大学には、現在の価値観や社会問題に振り回されずに長期的な視野で学問の自由を享受し、研究を進めるべきであるという伝統的な考え方があります。つまり、30年後、50年後という時間感覚で社会に貢献すればよいという意識が、目の前の危機に対して反応が鈍い理由の一つでした。それに大学が排出している二酸化炭素の量は、一般的な製造業の企業に比べればわずかにすぎない。これもまた言い訳になっていました。

 しかし、状況は変わりつつあります。18年にスウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリさんの呼び掛けに世界中の人々が賛同して行った「Fridays For Future」の活動を端緒に、学生たちが声を上げ始めました。大学が将来を担う人材の教育機関であるならば、その大学が率先してカーボンニュートラルやSDGsに取り組まないのはおかしい。未来を創る人たちを育てるのが大学の役割だとしたら、道義的、そして社会的な責任が大学にはあるというのです。

 世界の異常気象を見れば、非常事態であることは歴然としています。豪雨が続いて洪水が起き、熱波が襲い、森林火災や干ばつが発生しています。ひと昔前はごくまれだった現象が、今や世界各地で頻繁に起きています。この気候と環境の非常事態は、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の第6次評価報告書(AR6)によれば、今後、数百年から1000年ぐらい続くことを覚悟しなければなりません。

 このような気候が恒常化していくと、今後、人々の精神への影響も大きな問題となってくるでしょう。コロナ禍で人々は家にとどまらざるを得ない生活を強いられましたが、それが、経済だけではなく、人々の心にも影響があることを私たちは実感しました。同様に、豪雨が1週間も続けば、鬱な気分になっていきます。これからはそんな日が増えていくわけです。人々の活動に影響がないわけがありません。そうしたことを背景に、英国の王立精神医科大学も気候非常事態を宣言しています。大学が積極的にカーボンニュートラルに取り組むということは、学生や教職員が心を病むことを防ぎ、持続的に研究・教育環境を維持する「薬」でもあるというわけです。

――大学には、その研究成果を生かして、地域の課題を直接的に解決するという役割も期待されています。

 その期待が高まっていることを感じています。大学には社会的な課題を解決する専門家がそろっており、技術もパテントもあります。直面しているカーボンニュートラルや食糧問題、南北格差といったウィキッドプロブレム(地球規模の難問)の解決に、大学のナレッジやノウハウを役立てて社会側の要求に応えない理由はないと思います。

――しかし、日本の大学で気候非常事態宣言に手を挙げている学校は少数です。やはり先ほどの伝統的な大学に対する考え方や姿勢が、宣言の少なさに影響を与えていると思いますか。

 そう思います。しかし、これからは研究教育の中心にサステナビリティがなければならない。直接的であれ、間接的であれ、大学が率先してその課題に取り組むことが重要です。

 もちろん、伝統的な考え方も正しい。両方が正しく、その両立は可能であると思います。