心身の苦痛が推測できれば「いじめ」

 生徒さんたちに最初に考えてもらうのは、「この事例の状況は、『いじめ』なのか」ということです。確かにCさんはクラスメートに冷やかされ、無視されていますが、この事例では「Cさんが心身の苦痛を感じている」とは書かれていません。ということは、いじめ防止対策推進法(以下、いじめ防止法)で言ういじめの定義には当てはまらないのでしょうか。

 実際、生徒さんたちからも、「本人が『つらい』と言っていないので分かりません」「断定できません」「本人が言っていない以上は『いじめ』ではないと思います」といった意見が出ることがあります。

 いじめ防止法は、「いじめ」の早期発見と重大化防止を目的とする法律です。「本人が『つらい』と明示していないから『いじめ』ではない」と結論付けてしまっては、その目的を達成することができません。ですから、明示されていなくても、客観的に見てその子どもが苦痛を感じていると判断できる場合や、「同じことをされたら、多くの子どもが心身の苦痛を感じる」といえるような状況である場合には「いじめ」と判断し、対応することが求められるのです。

 この事例は、掘り下げれば掘り下げるほど、さまざまな論点が浮かび上がってきます。「CさんはBくんの提案に反対しなかった。全員で決めたことには従うべき」「なぜ、毎日遅刻する不真面目なCさんのために、きちんと時間を守る多くの人が気を使うのか」「集団生活を行う以上ペナルティーも必要。この程度なら問題ない」「一生懸命なDくんたちが怒るのは当たり前。怒るのも駄目なのか」などという意見もたくさん出ます。

 こうした意見からも分かる通り、実は「いじめ」の問題は、単なる「子ども同士のトラブル」にとどまらず、私たちの社会や文化と密接につながっているのです。こうした意見をきっかけに、生徒さんたちが「いじめ」に関する法的な視点を学べるよう努めるのも、私たち弁護士の役割であると考えています。