2011年3月10日、つまり東日本大震災の前日に著者はSCE社長との兼任でソニー副社長に就くことが決まった。ソニーとSCEの両社の重責を担うことになったのだ。

 その年の4月、ソニーは震災による混乱のさなかに大規模なハッキング攻撃を受けた。個人情報流出も懸念された過去最大のサイバーアタックへの対応に、ソニー代表として臨むことになった。日本に不在のハワードに代わって記者会見を行い、陣頭指揮を執った。この嵐のような2011年が過ぎた頃、ハワードから「社長をお願いしたい」と打診を受けた。その後社長とCEOの任を受ける話となり、著者はソニーの経営を預かる責任者となった。まさに人生の不思議である。

◇ターンアラウンドと目指すべき姿

 著者が社長のバトンを受け取った時点で、ソニーは崖っぷちに立たされていた。連結最終損益は4年連続で赤字。しかも赤字額は徐々に膨れ上がり、2011年度は過去最大の4550億円の赤字となった。エレクトロニクスの不振が最大の原因で、テレビ事業は実に8年連続の赤字だった。

 著者にとっての初仕事は、就任から2週間もたたない4月12日の記者会見で、痛みを伴う構造改革として1万人もの人員削減を公表することだった。厳しい船出の中、著者はソニー再建へと走り始めた。

 会社員人生3度目のターンアラウンド。背負った責任はとてつもなく大きい。では何から手をつけるか――。これまでと同じだ。まずは足を使って現場の声を拾っていくのだ。

 そして新しい時代のソニーが向かうべき方向性を、見つけなければならなかった。危機に瀕しながらも、地下では情熱のマグマがふつふつと煮えたぎるソニーをもう一度まとめられる言葉はないか。

 そんな中で生まれたのが「感動」だった。感動を提供する会社――それこそがソニーの目指すべき姿なのだ。

「テレビは必ず再生できる」と考えていた。韓国勢や中国勢との差別化を進め、誰が見ても違いの分かる映像と音で勝負することにした。つまり「KANDO」で勝負したのだ。「量より質」の成果が現れ、徹底した4Kテレビへの集中投資によって、2014年度には、実に11期ぶりの黒字化を達成したのであった。