創造もまた「偶然」の結果論だ

私たちは自分が思うほどには、意図を持ってモノを創造してはいないのだ。
(『進化思考』P.446から)

 エラーは偶然起こるもの。選択は客観的に選ばれるもの。その両方から生まれる進化には、意思は介在しておらず、壮大な偶然の結果論です。だとすると私たちの直感とは反するかもしれませんが、人間による創造が意思の力のみから発生すると考えるのは狭い了見なのかもしれません。実際に偶然から生まれたノーベル賞級の発見はあまたあるのですから。

 まずは、発想を意図的に行うものであるという常識を捨てて、偶然の産物と捉えることから始めてみましょう。創造性を個人の意思や才能によるものだと安易に決めつけないほうが、ずっと救いがあると僕は思うのです。

 遊びながらエラーを引き起こすボケ(変異)と、物事を深掘りしてマニアックに探求するツッコミ(適応)を繰り返せば、いずれ二つがある方向に収束していく。逆説的に感じるかもしれませんが、この往復を前提とすることで、創造的発想が偶然に生まれやすい状況を、意図的に作り出すことができます。

 ひょっとすると、あなたが憧れる創造的才能を発揮している人も、この二つの思考を何度も頭の中で繰り返しているだけかもしれない。こう考えると少し、何かを創造することに対して、気が楽になりませんか?

【訂正】記事初出時より以下の通り訂正します。

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一言で説明すると、「進化とは変異と適応の繰り返しで発生する現象」ということになります。→一言で説明すると、進化とは偶然の変異と自然選択による適応を何世代も繰り返して発生する現象です。


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そして「適応」とは、生き残るものが選ばれる傾向のこと。いわゆる自然選択です。個体が生き残れるかどうかは偶然ですが、例えば首が長い個体がわずかに生き残りやすく、その傾向が何世代も繰り返されると、実際にどんどん首が伸びるわけです。→そして適応とは、自然選択によって生き残りやすいものが選ばれた結果の蓄積のこと。個体が生き残れるかどうかは偶然ですが、例えば首が長い個体が子供を作りやすかった場合、その傾向が何世代も繰り返されると、 実際にどんどん首が伸びるわけです。

自然選択説の進化論が1851年に→自然選択説の進化論が1858年に

 

3ページ目5段落目
進化論によって生物進化の構造が解明されてから170年もたっているのに、→進化論によって生物進化の構造が提唱されてから160年も経っているのに、


(2022年8月29日13:14 ダイヤモンド社出版編集部)