理不尽を強いる「校則」が
日本人をダメにしている?

 学校に入ると子どもは「校則」に従うことを強いられる。それがどんな理不尽なものであっても、「ツーブロック禁止」や「女子は白い下着着用」など、まったく意味のわからない「謎ルール」でも黙って従わないといけない。腹の中では「バカじゃねえ」「くだらねえ」と不満はあるが、どうせゴネても何も変わらないと諦めて、「なぜ?」という気持ちを押し殺して、学校にいる間はそのルールに従う。

「教育とは、集団生活とは、そういうものだ」という人もいるだろうが、世界を見渡すと、教育現場でこのような「問答無用で理不尽な話にも従え」ということを子どもに叩き込むスタイルはかなり異質だ。

 確かに、それぞれの国でそれぞれの教育方針がある。中には厳しい校則のある国もある。しかし、その多くは、宗教やその社会の価値観に基づくもので、それなりの理由があっての校則だ。

 しかも、中には子どもたち同士で話し合って自分たちで「校則」を決めさせるような国もある。日本のように、「意味わかんねえし、うざいけど、とにかく従っとくか」みたいな感じで、子どもを思考停止にさせるような「ブラック校則」は少ない。

 つまり、日本人は、小学生から高校生までの12年間で、「理不尽なことを命じられても諦めて従う」ということを骨の髄まで叩き込まれている、という見方もできるのだ。ただでさえ、「諦め的弱さ」のある日本人にこんな教育を施したら、「羊の群れ」のように、従順な人間が量産されていくのは明らかだ。

 社会に不満があっても、理不尽な校則に従うように「しょうがない」と素直に受け入れる。政治家が仕事をしなくても、そもそも期待もしていないし、関心も低いので、「まあ、そんなもんでしょ」と流してくれる。政治家にとって、こんなありがたい有権者はいないのではないか。

 これから選挙まで、「どうやったら若者に興味を持ってもらえるか?」というテーマが注目を集めるだろう。

 学校でもっと政治を教えるというアイディアもいいし、SNSやネットを活用するというのもやればいい。だが、実は本当に効果があるのは、「校則」をなくすことではないか。

 今の日本では実現が難しいが、子どもたちが自分たちで議論してイチから校則を決めるのだ。お菓子やゲームを持ってきてはいけないというのも話し合いながら、なぜダメなのか、なぜルールに従わないといけないのかを徹底的に議論をして、場合によっては多数決をして新たな校則をつくる。ルールは「諦めて従う」ではなく、「自分たちでつくる」ということを、身をもって学んでいけば、「政治離れ」も改善されるのではないか。

 我々大人はもう生き方は変えることはできない。しかし、せめてこれからの子どもたちだけでも、「理不尽なことを諦める」という生き方をしてほしくない。

(ノンフィクションライター 窪田順生)