このまま一生、砂糖水を売り続けるのか?

 アップルは、野心的で行動派のジョブズなしには元々のスタートを切ることはできなかったわけだが、彼は自分に足りないものも理解しており、そこを優秀な人材で補う術(すべ)に長けていた。後に、比較広告マーケティングによってコカ・コーラに一泡吹かせたペプシコーラ社長のジョン・スカリーを、自らヘッドハントしてCEOに据えたのも、ジョブズの直感と交渉術のなせる技だった。このときにジョブズがスカリーの説得に使ったのが、「このまま一生、砂糖水を売り続けるのか? それより僕と一緒に世界を変えないか?」という有名なセリフである。

 また、現CEOで、サプライチェーンマネジメントの専門家でもあるティム・クックの才能を見いだし、自分亡き後のアップルの未来を託したのも、ジョブズ一流のリクルートセンスのなせる技だった。クックを雇うときにも、ジョブズは自らインタビューを行い、本来は興味本位で面接に来たクックの気持ちをたった5分でひっくり返して、周囲が猛反対する中で転職を決意させたほどだ。

 その一方でジョブズは、所期の目的を達成して用済みとなった者や、自らの考えを理解できないスタッフは、容赦なく切り捨てもした。切られるスタッフにとっては冷酷な仕打ちだが、別の見方をすれば、社内に不要な人間を作らないことにもつながる面もあった。ワンマン的な弊害は存在したものの、一つの目標に向かって全力で取り組む組織作りという点では、前向きに機能したともいえる。

 その意味でジョブズは、彼自身がクリエーターというよりも、ビジョンを立てて必要な資金と人材を集め、本人たちが思っている以上の力を発揮させるプロデューサー的な人物だった。そして、人と人、人と技術の化学反応を促進させる触媒のような働きをした。

 しかし、1985年には、理想主義的すぎて現実の経営を無視しがちなジョブズ自身がスカリーと取締役会から見放され、アップルを追放されることになった。これは、ジョブズにとっては最悪の事態であり、現実的に軌道修正されたアップルも一時的に経営を立て直したものの、やがてビジョンを失い低迷していった。だが、その後の10年という歳月が、巡り巡ってジョブズの自己反省を促し、経営感覚を養う下地となったのだから、何が幸いするかわからない。スカリーは、のちに「ジョブズを追い出したことは自分の最大の過ちだった」と述懐しているが、筆者は逆に、この時若きジョブズをなだめてそのままアップルにとどめていたら、今のような成功はなかったと思うのである。